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第938話 2015/04/29

教到六年丙辰(536年)の「東遊」記事

 九州年号研究をしていると思わぬ発見や成果が得られることがあります。たとえば『二中歴』「年代歴」の九州年号「教到」(531〜535年)の細注に「舞遊始」(舞遊が始まる)という変な記事があり、かねてから不審に思っていました。「舞遊」など、それこそ縄文時代からあったはずで、それが6世紀 の教到年間に始まったとする細注の記事はナンセンスなものと映っていたからです。
ところがその謎を解く鍵が本居宣長の『玉勝間』にありました。この情報は冨川ケイ子さん(古田史学の会・会員、横浜市)から教えていただいたのですが、『玉勝間』に九州年号の教到が記されているのです。

「東遊の起り
同書(『體源抄』豊原統秋:古賀注)に丙辰記ニ云ク、人王廿八代安閑天皇ノ御宇、教到六年(丙辰歳)駿河ノ國宇戸ノ濱に、天人あまくだりて、哥舞し給ひければ、周瑜が腰たをやかにして、海岸の青柳に同じく、廻雪のたもとかろくあがりて、江浦の夕ヘの風にひるがへりけるを、或ル翁いさごをほりて、中にかくれ ゐて、見傳へたりと申せり、今の東遊(アズマアソビ)とて、公家にも諸社の行幸には、かならずこれを用ひらる、神明ことに御納受ある故也、其翁は、すなわ ち道守氏とて、今の世までも侍るとやいへり、」
(岩波文庫『玉勝間』下、十一の巻。村岡典嗣校訂)

このように教到年間の「舞遊始」(舞遊が始まる)とは「東遊(アズマアソビ)」の起源記事だったのです。こうした九州年号による記事が本居宣長の『玉勝間』に記されていたとは思いもよりませんでした。
しかも、普通九州年号群史料によれば「教到」は5年間で終わり、翌年は改元され「僧聴元年」となっており、教到六年丙辰ではなく僧聴元年丙辰とされるべき ところです。しかし教到六年丙辰とあるのは、その年の内の「僧聴」に改元される前に記された記事に基づいていると考えられるので、元史料を後世の認識で 「僧聴元年」などと改訂していない、いわば一次史料を正確に引用している記事であることがわかります。従って、この「東遊」関連記事の史料価値は高いと判 断できるのです。
このような九州王朝系史料の、しかも史料批判により、原文に近いと判断できる記事に遭遇できたことは、まさに学問研究の醍醐味 です。ちなみに、江戸時代のバリバリの一元史観論者である本居宣長はこの「教到六年」という近畿天皇家にない年号をどのような気持ちで自著に引用したの か、興味深いところです。
なお、当研究の詳細は『古田史学会報』64号(2004.10.12)所収の「本居宣長『玉勝間』の九州年号 -「年代歴」細注の比較史料-」をご参照下さい。