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第1314話 2016/12/30

「戦後型皇国史観」に抗する学問

 藤田友治さん(故人、旧・市民の古代研究会々長)が参加されていた『唯物論研究』編集部からの依頼原稿をこの年末に集中して書き上げました。市民の日本古代史研究の「中間総括」を特集したいとのことで、「古田史学の会」代表のわたしにも執筆を依頼されたようです。
 今日が原稿の締切日で、最後のチェックを行っています。論文の項目と最終章「古田学派の運命と使命」の一部を転載しました。ご参考まで。

「戦後型皇国史観」に抗する学問
-古田学派の運命と使命-
一.日本古代史学の宿痾
二.「邪馬台国」ブームの興隆と悲劇
三.邪馬壹国説の登場
四.九州王朝説の登場
五.市民運動と古田史学
六,学界からの無視と「古田外し」
七.「古田史学の会」の創立と発展
八.古田学派の運命と使命
(前略)
 「古田史学の会」は困難で複雑な運命と使命を帯びている。その複雑な運命とは、日本古代の真実を究明するという学術研究団体でありながら、同時に古田史学・多元史観を世に広めていくという社会運動団体という本質的には相容れない両面を持っていることによる。もし日本古代史学界が古田氏や古田説を排斥せず、正当な学問論争の対象としたのであれば、「古田史学の会」は古代史学界の中で純粋に学術研究団体としてのみ活動すればよい。しかし、時代はそれを許してはくれなかった。(中略)
 次いで、学問体系として古田史学をとらえたとき、その運命は過酷である。古田氏が提唱された九州王朝説を初めとする多元史観は旧来の一元史観とは全く相容れない概念だからだ。いわば地動説と天動説の関係であり、ともに天を戴くことができないのだ。従って古田史学は一元史観を是とする古代史学界から異説としてさえも受け入れられることは恐らくあり得ないであろう。双方共に妥協できない学問体系に基づいている以上、一元史観は多元史観を受け入れることはできないし、通説という「既得権」を手放すことも期待できない。わたしたち古田学派は日本古代史学界の中に居場所など、闘わずして得られないのである。
古田氏が邪馬壹国説や九州王朝説を提唱して四十年以上の歳月が流れたが、古代史学者で一人として多元史観に立つものは現れていない。古田氏と同じ運命に耐えられる古代史学者は残念ながら現代日本にはいないようだ。近畿天皇家一元史観という「戦後型皇国史観」に抗する学問、多元史観を支持する古田学派はこの運命を受け入れなければならない。
 しかしわたしは古田史学が将来この国で受け入れられることを一瞬たりとも疑ったことはない。楽観している。わたしたち古田学派は学界に無視されても、中傷され迫害されても、対立する一元史観を批判検証すべき一つの仮説として受け入れるであろう。学問は批判を歓迎するとわたしは考えている。だから一元史観をも歓迎する。法然や親鸞ら専修念仏集団が国家権力からの弾圧(住蓮・安楽は死罪、法然・親鸞は流罪)にあっても、その弾圧した権力者のために念仏したように。それは古田学派に許された名誉ある歴史的使命なのであるから。
本稿を古田武彦先生の御霊に捧げる。
(二〇一六年十二月三十日記)