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第1697話 2018/06/24

観世音寺古図と資材帳の不一致

 「洛中洛外日記」1696話「観世音寺古図の史料性格」で、観世音寺古図は12世紀まで観世音寺に伝来していた「養老繪圖一巻」に基づいている可能性があり、創建観世音寺の姿を伝えているとわたしは指摘しました。同様の見解が九州歴史資料館から発行された『大宰府への道 -古代都市と交通-』にも同古図の解説として記されています。

 「西海道随一の古刹である観世音寺の威容と歴史を物語る古絵図。講堂を中心として金堂・五重塔・僧坊などの堂塔を配し、随所に同寺の由緒や故事を描き込む。伽藍は発掘調査の成果や延喜五年(九〇五)の観世音寺資材帳の記述と符合することから、平安時代の絵図を手本として大永六年(一五二六)に書写されたものと考えられる。講堂には落慶法要の情景が描かれ、僧坊には最澄や空海と思われる僧侶の姿がみえる。(松川)」九州歴史資料館編『大宰府史跡発掘50年記念特別展 大宰府への道 -古代都市と交通-』(2018年)

 他方、観世音寺古図は史料としての信頼性が劣り、創建観世音寺の姿を伝えたものではないとする見解もあります。この見解も有力なものですので、ご紹介します。たとえば大越邦生さん(東京古田会・会員)は次のように指摘されています。

 「本論ではあえて『観世音寺絵図』をとり上げなかった。なぜなら、絵図のような観世音寺は『存在していなかった』からだ。絵図の金堂は『単層屋根』の建物として描かれている。だが、金堂が『単層』になったのは、一一〇八年の再建時だ。それまでは『重層』だった(資材帳)。一方五重塔は一〇六四年に焼失していて、その後、再建されたことがない。絵図の金堂と五重塔は、『共存していなかった』のである。したがって、この絵図は、いくつかの原図が合成された作品とみられる。(中略)もちろん『絵図成立史』の研究には意義はあるが、観世音寺の『草創』を扱う本論では、取り上げるべき対象とはみなせなかった。」大越邦生「観世音寺草創の問題(後編)」(『東京古田会ニュース』No,180、2018年5月)

 ここで大越さんが根拠として上げられた(資材帳)とは、延喜五年(九〇五)成立の『観世音寺資財帳』のことで、当時の観世音寺の伽藍の規模や様相などともに破損や修復の状況まで詳しく記録されています。金堂については次のように「二層」と記されています。

 「瓦葺二層金堂壹宇 長五丈四尺 廣三丈四尺五寸 高一丈四尺五寸
 貞観三年小破 八年修理全」
 『延喜五年観世音寺資財帳』『大日本仏教全書』117(大正二年八月)

 この他にも「観世音寺古図」とは異なる記事が散見されます。たとえば「古図」の中門は二層ですが、「資材帳」には単に「瓦葺中門壹宇」とあるだけです。従って、大越さんが「古図」を史料として使用されなかった慎重さはよく理解できます。
 しかしながら、「古図」に描かれた伽藍配置が考古学的発掘成果とよく整合していることなど、全くの想像の産物とも思われません。今回、山田春廣さんからの指摘により知った五重塔の「二重基壇」問題なども、「古図」の中に創建観世音寺の姿が残されていると推定できる点ではないでしょうか。また、大越さんご自身も「絵図は、いくつかの原図が合成された作品とみられる」とされているように、その原図の中に創建観世音寺を描いたものがあれば、この「古図」の中にも創建時の面影が残される可能性があります。(つづく)