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第1700話 2018/06/28

『風土記』の中の九州王朝「国分(府)寺」

 九州王朝の「国府寺」建立の史料的痕跡として『聖徳太子伝記』や『日本書紀』推古2年条などを紹介してきましたが、『風土記』にもその痕跡を見いだしました。『豊後国風土記』の次の記事です。

 「風土記 豊後の国
郡は八所〔郷は四十、里は一百一十〕、驛は九所〔並に小路〕、烽は五所〔並に下国〕、寺は二所なり〔僧の寺と尼の寺なり。〕」(357頁)
頭注九「大分郡の条に見える二寺」(356頁)
 「大分の郡 郷は九所〔里は廿五〕、驛は一所、烽は一所、寺は二所なり〔一つは僧の寺、一つは尼の寺なり〕。」(367頁)
頭注二一「箋釈は天平十三年の勅命による国分寺及び国分尼寺としているが恐らくは不可。国分寺以前のものであろう。肥前風土記の寺の記載(三九一頁頭注一三)参照。」(367頁)
 『豊後国風土記』(日本古典文学大系、岩波書店)※〔 〕内は小文字。

 豊後国国府のあった大分郡に僧寺と尼寺の存在が記されています。『風土記』成立時の8世紀前半頃ですから豊後国に寺院が二つしかないということはありえません。ですから、国府にあるこの二つの寺は豊後国を代表する寺院と考えざるをえません。従って、九州王朝による多元的「国分寺」説に立てば、豊後国の「国分寺(国府寺)」と「国分尼寺(国府尼寺)」の可能性が高いと思われます。「頭注二一」でも「(聖武天皇による)国分寺以前のものであろう」としています。
 同様の例が次の『肥前国風土記』にも見えます。

 「肥前の国
 郡は二十一所〔郷は七十、里は一百八十七〕、驛は一十八所〔小路〕、烽は二十所〔下国〕、城は一所、寺は二所〔僧の寺なり〕。」(379頁)
 「神埼の郡 郷は九所〔里は廿六〕、驛は一所、烽は一所、寺は一所〔僧の寺〕なり。」(389頁)
頭注七「背振山霊仙寺に擬している。」(388頁)
 「佐嘉の郡 郷は六所〔里は一十九〕、驛は一所、寺は一所なり。」(391頁)
頭注一三「佐嘉駅(延喜式・和名抄)。佐賀市の北方、大和村尼寺の東方の国分附近が肥前国府の遺蹟地で、駅も同地にあったのであろう。」(391頁)
頭注一四「巻首の注によれば、これも僧寺であり、『僧寺』と注書のあるべきところである。大和村尼寺真島の国分寺趾にあった寺であろう。国分寺と称せられる以前の寺である。」(391頁)
 『肥前国風土記』(日本古典文学大系、岩波書店)

 肥前国府があった佐嘉郡に「僧寺」があったと記されており、地名には「大和村尼寺」と「尼寺」があった痕跡も見え、豊後国府と同様に肥前国府にも「国分寺(国府寺)」と「国分尼寺(国府尼寺)」があったと思われます。ここでも「頭注一四」では「国分寺と称せられる以前の寺である」と解説されており、7世紀以前に遡る九州王朝時代の寺院と考えざるを得ません。
 これら九州島内の二つの現存『風土記』に見える「国分寺(国府寺)」「国分尼寺(国府尼寺)」と思われる記事は、九州王朝による多元的「国分寺」建立の史料根拠としてもよいのではないでしょうか。