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第1886話 2019/05/06

京都市域(北山背)の古代寺院(2)

 京都市考古資料館の特別展示「京都の飛鳥・白鳳寺院 -平安京遷都以前の北山背-」で最も注目した遺跡が北白川廃寺跡(左京区)でした。銀閣寺の北側に位置する北白川地区から廃寺跡が発見されたのは昭和9年のことで、巨大な金堂基壇(36.1m×22.8m)や回廊が出土しました。その後、昭和50年になって金堂の西80mの地点から塔跡も発見されました。
 わたしが驚いたのはその金堂基壇の巨大さです。北白川廃寺創建は出土瓦(山田寺式)を根拠に七世紀の第三四半期の早い時期と編年されており、その時代の寺院の金堂としては奈良県桜井市から出土した吉備池廃寺(37m×約28m)に次ぐ大きさとのことです。現存する法隆寺金堂の基壇が22.1m×18.8mですから、これと比べてもかなりの規模であることがおわかりいただけるでしょう。
 ここで問題となるのが、この北白川廃寺のことは『日本書紀』にも後の史料にも見えず、山背(やましろ)国の北部にこのような巨大寺院を建立した勢力についても不明です。想定される創建時期が前期難波宮とほぼ同時期であることも見逃せません。巨大な北白川廃寺は近畿天皇家とは関係が薄い勢力、あるいはその存在を近畿天皇家が『日本書紀』には記したくなかった勢力による造営と考えるべきではないでしょうか。すなわち、九州王朝系勢力が創建に関わったのではないでしょうか。
 さらに同廃寺の南に隣接する小倉町別当町遺跡からは、「高志」「丁」の刻印をもつ無紋銀銭が出土しています(七世紀中頃と編年)。無紋銀銭は近江の崇福寺遺跡や難波から数多く出土しています。前期難波宮を九州王朝の複都(太宰府「倭京」と難波京の両京制)とするわたしの説や、近江朝を九州王朝系とする正木説の立場からすれば、九州王朝と関わりが深いとされる地から無紋銀銭が出土していることとなり、小倉町別当町遺跡から出土した無紋銀銭も偶然と見るよりも、北白川廃寺を創建した勢力(九州王朝系か)との関係を検討すべきものと思われるのです。(つづく)