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第1889話 2019/05/08

京都市域(北山背)の古代寺院(5)

 京都東山の「八坂の塔」として有名な五重塔には法観寺という正式名があることはあまり知られていません(俗称は八坂寺)。元々は塔の北側に金堂や講堂などがあったと推定され、出土した瓦の編年から七世紀第3四半期の創建とされています。昭和53年の塔基壇調査では心礎の巨石が創建時のままで移動していないとのことで、三度の焼失のたびに同じ位置で再建されたことが判明しました。
 伝承では、聖徳太子が四天王寺建立のため山背国愛宕郡の材を求めたとき、この地が気に入り、一堂を建てたことが法観寺の始まりとされています。しかし、七世紀前半の飛鳥時代の遺物が出土しないことから、この伝承は否定されています。心礎の位置(高さ)が基壇上にありますので、七世紀後半頃(白鳳時代)の創建とする見解にわたしも賛成です。白鳳10年(670)年創建とされる太宰府・観世音寺の五重塔もこの様式です。もし飛鳥時代(七世紀初頭頃)であれば心礎は法隆寺五重塔のように地下に埋まっていると思われます。
 他方、広隆寺と同様に法観寺も聖徳太子伝承を持つことには注目すべきです。それは九州王朝の多利思北孤や利歌彌多弗利の伝承があって、それが後世において聖徳太子伝承として伝えられた可能性があるからです。このように京都市の東西(東山区と右京区)に聖徳太子伝承を持つ大形寺院が現存することは、京都市域が古代において九州王朝との強い関係を持っていたことをうかがわせ、古田史学・多元史観にとって重要な研究課題です。(つづく)