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第2088話 2020/02/21

『元亨釈書』の「大化建元」記事

 観世音寺の創建を天平18年(746)とする通説の根拠の一つとされている『元亨釈書』に、年号に関して面白い表記がありますので、紹介します。
 「国史大系31」に収録されている『元亨釈書』巻第二十一「孝徳皇帝」の冒頭に次の記事が見えます。

 「元年、春正月。建元大化。」(『元亨釈書』巻第二十一)

 『日本書紀』には「改元」とされている「大化」ですが、『元亨釈書』では「建元」とされているのです。「建元」とはある王朝が最初に年号を建てることであり、それ以降に年号を改めることは「改元」とされます。『日本書紀』に記された最初の年号であるにもかかわらず、「改元」とされている「大化」は近畿天皇家の年号ではなく、九州王朝の年号であるとする論稿をこれまでもわたしは発表してきました。今春発刊される『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』(『古代に真実を求めて』23集、古田史学の会編、明石書店)にも拙稿「『大化』『白雉』『朱鳥』を改元した王朝」が収録されていますので、ご参照下さい。
 鎌倉時代の『元亨釈書』の編者は、『日本書紀』の「大化改元」記事を不審として、「大化」を「建元」と改定したものと思われます。同時に、『続日本紀』に「大宝建元」(701年)とされている記事については、次のように「改元」と改定しています。

 「三月甲午、改元大宝」(『元亨釈書』巻第二十一、文武四年条。701年)

 このように、『元亨釈書』には「大化」のみ「建元」とされ、他の年号は「改元」とされています。『日本書紀』や『続日本紀』の記述に従わない、かなり大胆な改定ですが、近畿天皇家一元史観の立場からは真っ当な改定です。すなわち、九州王朝や九州年号の存在が忘れ去られた鎌倉時代の認識に基づいて、古代史書の記述を改定するという方法がとられているのです。
 このことから、『日本書紀』『続日本紀』の「大化改元」「大宝建元」が、鎌倉時代の知識人にとって不自然に映っていたことがわかります。同様の現象は現在の年号関連書籍にも見て取れます。例えば所功編『日本年号史大事典』の次の記述です。

 〝日本の年号(元号)は、周知のごとく「大化」建元(六四五)にはじまり、「大宝」改元(七〇一)から昭和の今日まで千三百年以上にわたり連綿と続いている。〟(第三章、54頁)
 〝『続日本紀』大宝元年三月甲午条に「対馬嶋、金を貢ぐ。元を建てて大宝元年としたまふ」としており、対馬より金が献上されたことを祥瑞として、建元(改元)が行われたことがわかる。〟(127頁)
 所功編『日本年号史大事典』(平成二六年一月刊、雄山閣)

 この記述から、21世紀の今日まで近畿天皇家一元史観の影響が続いていることがわかります。恐らく、わが国で年号使用と改元が続く限り、『日本書紀』『続日本紀』の「大化改元」「大宝建元」記事の取り扱いに混乱が続くことでしょう。そして、そのことを合理的に説明できる古田先生の九州王朝説・九州年号説が、いつの時代においても古代史研究者の脳裏に蘇ることでしょう。