「 2020年09月06日 」一覧

第2227話 2020/09/06

文武天皇「即位の宣命」の考察(9)

 息子でもある文武天皇の後を継いで即位した元明天皇の「即位の宣命」には、皇位継承の背景や理由、そして権威の正統性や淵源についてとても興味深い内容が記されています。それは次の二つの部分です。

(A)「藤原宮御宇倭根子天皇(持統天皇)、丁酉(持統十一年〔697年〕)八月に、此の食国(をすくに)天下の業(わざ)を、日並所知(ひなみしの)皇太子(草壁皇子)の嫡子、今御宇しつる天皇(文武天皇)に授づけ賜ひて、並び坐(いま)して此の天下を治め賜ひ諧(ととの)へ賜ひき。」

(B)「是は関(かけま)くも威(かしこ)き近江大津宮御宇大倭根子天皇(天智天皇)の、天地と共に長く月日と共に遠く不改常典と立て賜ひ敷き賜へる法を、受け賜り坐して行ひ賜ふ事」

 (A)では、文武天皇が藤原宮御宇倭根子天皇(持統天皇)の譲位によって天皇位に就いた事実を述べ、(B)は、この即位が近江大津宮御宇大倭根子天皇(天智天皇)が立てた「不改常典」法に基づいていると説明したものです。すなわち、持統・文武と続いた皇位を元明が受け継ぐにあたり、その前提となる権威や正統性の根拠が、天智天皇による「不改常典」法であると主張しているわけです。
 ちなみに、「不改常典」という言葉はこの元明天皇の「即位の宣命」が初見で、『続日本紀』の他の宣命中にも散見されるのですが、この「不改常典」が何であるのかについて研究や論争が学界で続いてきましたが、未だ統一した見解や通説はありません。
 文武天皇の「即位の宣命」では、持統天皇がキーパーソンとして権威の淵源である「高天原に事始めて、遠天皇祖の御世、中今に至るまで」の正統性を引き継いでおり、それを文武に禅譲したという筋書きになっていました。当時(697年)は王朝交替(701年)の直前とはいえ九州王朝の時代ですから、この宣命による説明では、聞いていた諸豪族は「高天原に事始めて、遠天皇祖の御世、中今に至るまで」の九州王朝の歴代の天子(天皇)のことと受け取らざるを得ません。なぜなら、『古事記』『日本書紀』成立以前の宣命ですし、しかもこのとき九州王朝の天子(薩野馬か)は健在ですから、これでは王朝交替の正統性の説明にはなっていません。
 しかし、701年(大宝元年)に近畿天皇家は王朝交替に成功していますから、何らかの説得力のある説明や背景があったはずです。そして、その背景が「不改常典」法であったことが元明天皇の「即位の宣命」で明らかになったのです。すなわち、新天皇や新王朝の権威の淵源や正統性は、初代の神武でもなく、「壬申の乱」勝者の天武でもなく、天智が定めた「不改常典」法であると宣言し、その内容を全国の諸豪族や官僚たちは知っており、それに基づく皇位継承と王朝交替を承認したということになるのです。それでは「不改常典」法の内容とは何だったのでしょうか。(つづく)


第2226話 2020/09/06

八王子セミナー用論文

「古代戸籍に見える二倍年暦の影響」が完成

 本年11月14日(土)・15日(日)に開催される「古田武彦記念 古代史セミナー2020」で、二倍年暦をテーマに研究発表させていただくのですが、それに先立ち当該論文の提出を要請されています。本日、ようやくその論文「古代戸籍に見える二倍年暦の影響 ―『延喜二年籍』『大宝二年籍』の史料批判―」が完成しました。A4版22頁に及ぶ長い論文になりましたが、短期日に書き上げることができたのも、「定年退職」で時間がとれるようになったおかげです。
 同論文は、大宝二年籍「御野国戸籍」(702年)に見える高齢者の多さと、戸主と嫡子の大きな年齢差(40歳以上)を、「庚午年籍」造籍時(670年)での「二倍年齢登録」によるとする仮説を提起したものです。発表時間は30分ですから、これからは発表用パワーポイントを作成し、わかりやすい発表ができるよう準備します。
 なお、今回のセミナーはコロナ対策として現地参加とは別に、インターネット(zoom使用)によるオンライン参加も可能となりました。遠方の方には便利だと思います。オンライン参加費は一般6,000円、学生1,000円(資料代、郵送代として)とのことで、詳細は主催者「大学セミナーハウス」のHPをご参照下さい。わたしは、「古田史学の会」が共催していることもあり、現地参加する予定です。多くの皆様とお会いできることを楽しみにしています。