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第2256話 2020/10/09

古田武彦先生の遺訓(2)

『史記』「三代世表」と「十二諸侯年表」の

              歴代周王調査

 古代中国における「二倍年暦」の研究を深めるために、過日、京都府立図書館で司馬遷の『史記』を読んできました。膨大な史書ですので、今回は「表」(三代世表、十二諸侯年表)に記されている歴代周王や「周本紀」の紀年記事を精査しました。
 「三代世表」には二代周王の成王から共和まで、「十二諸侯年表」には共和から敬王までが表中(最上段)に列記されており、周代を概観するのに便利な「表」です。しかし『史記』本文の周王在位年数と各「紀」や「表」に掲載された歴代周王の在位年数に微妙な違いもありますので、留意が必要です。
 それとは別に、WEB上で『竹書紀年』(古文、今文)を閲覧し、その周王部分をエクセルにコピペし、『史記』『竹書紀年』『東方年表』(注①)を並べて、年代を比較しています。
 また、昨日からは『春秋左氏伝』明治書院版全四巻(鎌田正編著、1971年)を書架から引っ張り出して、約10年ぶりに読み直しています。これらの史書は基本的に一倍年暦で著述されており、その成立時点、あるいは後代での再編集時点は一倍年暦の時代になっていたことがうかがわれます(注②)。それらを二倍年暦(二倍年齢)の視点から史料批判を試みることが今回の調査目的です。(つづく)

(注)
①藤島達朗・野上俊静編『東方年表』(平楽寺書店、1988年版)
②一例を挙げれば、『春秋左氏伝』に見える次の記事は「一倍年齢」表記と考えざるを得ない。
 「晋の公子重耳、(中略)将に齊に適(ゆ)かんとし、季隗(きかい)に謂ひて曰く、我を待つこと廿五年なれ。来たらずして而(しか)る後に嫁(か)せよ、と。對(こた)へて曰く、我は廿五年なり。又是(か)くの如くにして嫁せば、則ち木〔棺〕に就かん。請ふ子(し)を待たん、と。狄(てき)に處(お)ること十二年にして行(さ)る。(後略)」一巻362頁
 これは、晋の公子重耳が妻の季隗に、「25年待ってわたしが迎えに来なかったら他に嫁げ」と言ったが、季隗は「わたしは25歳なので、それだけ待っていたら棺桶にはいることでしょう。あなたの帰りを待たせてほしい」と言い、重耳は12年留まってから齊に去ったという説話である。
 このとき季隗は既に子供を二人産んでおり、この年齢(25歳)からは一倍年暦と考えざるを得ないが、「25年待て」という中途半端な数字であることから、本来の記事は二倍年暦による「50年待て」というものではなかったか。すなわち、『春秋左氏伝』編纂当時の一倍年暦に換算して、二分の一の「25年」に改訂表記されたのではあるまいか。とすれば、その編纂時点では二倍年暦(二倍年齢)の存在がまだ記憶されていた、ということになろう。