第854話 2015/01/18

『三国志』のフィロロギー

  「短里と長里の混在」

 短里と長里の混在という問題について、その論理性という視点から考察してみます。
 短里(約78m)は周の時代の里単位と考えられており、その後(秦の始皇帝か)長里(約435m)が制定され、漢代まで採用されていたと考えられています。従って、漢代では国家公認の長里と共にそれまで使用されていた短里が「混在」する可能性があります。
 その後、魏・西晋朝で短里が公認里単位として復活しますから、ここでは公認の短里とそれまで使用されていた長里が混在する可能性があります。これらは単純な理屈ですから、ご理解いただけるものと思います。
 漢王朝にしても魏・西晋朝においても、それぞれの公認里単位や度量衡で政治・行政が行われ、公的な行政文書に使用されていたはずです。それが国家権力による国家意志というもので、形ややり方は異なっていても古代においても同様と思われます。そしてそれらの王朝の歴史が正史として編纂されますが、その場合に発生する問題として、正史編纂を行った王朝の里単位と、対象となった当該王朝の里単位が異なるケースで、どちらの里単位が公式に正史編纂に採用されるのか、あるいは「混在」してしまうのかという微妙な問題があります。(つづく)

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