現代一覧

第2285話 2020/11/07

上方落語勉強会特別公演を拝見

 本日、ご近所の京都府立文化芸術会館ホールでの上方落語勉強会特別公演を見に行きました。同会館落成50周年の記念落語会です。もちろん一番のお目当ては桂米團治師匠。コロナ禍で客席も半数に減らされての公演でしたが、久しぶりに大笑いさせていただきました。
 米團治師匠には「古田史学の会」を何かと応援していただいていることもあり、京都市での落語会には都合がつく限り寄せていただいています。古田先生のファンでもある米團治師匠とは、忘れがたい出会いや想い出があるのですが、中でも古田先生最後の公の場となったKBS京都のラジオ番組「本日、米團治日和。」(注①)に古田先生とご一緒に出演させていただいたことは、今でも鮮明に記憶しています。その収録内容は『古代に真実を求めて』19集(古田史学の会編、明石書店。2016年)に掲載していますので、ご覧下さい(注②)。
ご高齢の古田先生の体調を気遣って、30分だけという約束での収録でしたが、先生はなんと2時間も米團治師匠との会話を続けられました。このときの様子が米團治師匠のオフィシャルブログに、次のように記されています。
 なお、公演での米團治師匠の落語は、素人目にもますます磨きがかかったもので、お顔もお父上の米朝師匠(人間国宝)に似てきたように思われました。

(注)
①2015年8月27日にKBS京都放送局で収録し、9月に三回に分けて放送された。その翌月の10月14日に古田先生はご逝去された。
②「古代史対談 桂米團治・古田武彦・古賀達也」(茂山憲史氏〔『古代に真実を求めて』編集部〕による抄録)

【桂米團治オフィシャルブログより転載】
2015.09.09《古田武彦さん登場 @KBS京都ラジオ》

 古田武彦さん──。知る人ぞ知る古代史学界の大家です。
 「いわゆる“魏志倭人伝”には邪馬台国(邪馬臺国)とは書かれておらず、邪馬壱国(邪馬壹国)と記されているのです。原文を自分の都合で改竄してはいけません。そして、狗耶韓国から邪馬壱国までの道程を算数の考え方で足して行くと、邪馬壱国は必然的に現在の福岡県福岡市の博多あたりに比定されることになります」という独自の説を打ち立て、1971(昭和46)年に朝日新聞社から『「邪馬台国」はなかった』という本を出版(のちに角川文庫、朝日文庫に収録)。たちまちミリオンセラーとなりました。
 その後、1973(昭和48)年には、「大宝律令が発布される701年になって初めて大和朝廷が日本列島を支配することができたのであり、それまでは九州王朝が列島の代表であった」とする『失われた九州王朝』を発表(朝日新聞社刊。のちに角川文庫、朝日文庫に収録)。
 1975(昭和50)年には、「『古事記』『日本書紀』『万葉集』の記述には、九州王朝の歴史が大和朝廷の栄華として盗用されている部分が少なくない」とする『盗まれた神話』を発表(朝日新聞社刊、のちに角川文庫、朝日文庫に収録)。
 いずれも記録的な売り上げとなりました☆☆☆
 実は、芸能界を引退された上岡龍太郎さんも、以前から古田学説を応援して来られた方のお一人。
 「古田史学の会」という組織も生まれ、全国各地に支持者が広がっています。
 が──、日本の歴史学会は古田武彦説を黙殺。この45年間、「どこの国の話なの?」といった素振りで、無視し続けて来たのです。
 しかし、例えば、隋の煬帝に「日出づる処の天子より、日没する処の天子に書を致す。恙無きや」という親書を送った人物は、「天子」と記されていることから、厩戸王子(ウマヤドノオウジ)ではなく、ときの九州王朝の大王であった多利思比孤(タリシヒコ…古田説では多利思北孤=タリシホコ)であったと認めざるを得なくなり、歴史の教科書から「聖徳太子」という名前が消えつつある今日、ようやく古田学説に一条の光が射し込む時代がやってきたと言えるのかもしれません^^;
 とは言え、古田武彦さんは大正15年生まれで、現在89歳。かなりのご高齢となられ、最近は外出の回数も減って来られたとのこと。なんとか私の番組にお越し頂けないものかなと思っていたところ──。
 ひょんなことから、「古田史学の会」代表の古賀達也さんにお会いすることができたのです(^^)/
 古賀達也さんのお口添えにより、先月、私がホストを勤めるKBS京都のラジオ番組「本日、米團治日和。」への古田武彦さんの出演が実現したという次第!
 狭いスタジオで、二時間以上にわたり、古代史に纏わるさまざまな話を披露していただきました(^◇^;)
 縄文時代…或いはそれ以前の巨石信仰の話、海流を見事に利用していた古代人の知恵、出雲王朝と九州王朝の関係、平安時代初期に編纂された勅撰史書「続日本紀」が今日まで残されたことの有難さ、歴史の真実を見極める時の心構えなどなど、話題は多岐に及び、私は感動の連続でした☆☆☆
 老いてなお、純粋な心で隠された歴史の真実を探求し続けておられる古田先生の姿に、ただただ脱帽──。
 古田武彦さんと古賀達也さんと私の熱き古代史談義は9日、16日、23日と、三週にわたってお届けします。
 水曜日の午後5時半は、古代史好きはKBSから耳が離せません(((*゜▽゜*)))
2015年9月9日 米團治


第2237話 2020/08/21

上皇陛下の天智天皇讃歌(平成二年御製)

 明治天皇の「即位の詔勅」が宣命体であり、そこに天智天皇や神武天皇の業績が特筆されていることに驚いたのですが、天智天皇が日本国の基礎を築いたという認識が現在の上皇陛下へも続いていることを最近になって知りました。そのことについて紹介します。
 ご近所の古本屋さんにあった『近江神宮 天智天皇と大津京』(新人物往来社、平成三年)を格安で購入したのですが、その巻頭グラビア写真に当時の天皇・皇后(現、上皇・上皇后)のお歌が掲載されていました。近江神宮の宮司、佐藤忠久さんが書かれたものです。

 「近江神宮五十年祭にあたって」
「今上陛下 御製」
「日の本の国の基を築かれし すめらみことの古思ふ」
「皇后陛下 御歌」
「学ぶみち 都に鄙に開かれし 帝にましぬ 深くしのばゆ」
  「近江神宮 宮司 佐藤久忠謹書 (印)」

 この御製御歌は、近江神宮御鎮座50周年(平成二年、1990年)の式年大祭に際して、当時の両陛下から賜ったものと説明されています。御製に「日の本の国の基を築かれし すめらみこと」とあり、近江神宮に下賜されたものであることから、この「すめらみこと」とは天智天皇です。その天智天皇が日本国の基を築かれたという認識に、わたしは注目したのです。おそらくこれは、皇室や宮内庁の共通の歴史認識に基づかれたものと思われます。
 古田先生は、『よみがえる卑弥呼』(駸々堂、1987年)に収録されている「日本国の創建」という論文で、671年(天智十年)、近畿天皇家の天智天皇の近江朝が「日本国」を創建したとする説を発表されています。偶然かもしれませんが、この古田説と御製に示された認識が、表面的ではあれ一致しています。あらためて天智天皇や近江朝に関する研究史を精査する必要を感じました。


第2236話 2020/08/20

明治天皇の即位の宣命と「不改常典」

 先日の「古田史学の会」関西例会では『続日本紀』元明天皇の即位の宣命に初めて見える「不改常典」について研究発表しました。その要旨は、天智の近江朝が九州王朝からその権威を引き継いだ宣言こそ「不改常典」の内実ではないかとするものでした。そしてそれは「禅譲」に近いものではないかと推定しました。
 しかし、『日本書紀』は九州王朝の存在や、天智がその権威を継承したことを隠していますし、宣命で述べられた天智天皇が定めた「不改常典」という言葉さえも掲載していません。ですから、『日本書紀』成立後(720)の聖武天皇や孝謙天皇らの即位宣命にも「不改常典」のことが記されてはいるものの、初代の神武天皇を近畿天皇家の権威の淵源とする『日本書紀』の大義名分と、天智天皇が定めた権威の淵源「不改常典」との関係が不明瞭です。
 ところが、この天智天皇が定めた法(「不改常典」法)と『日本書紀』の大義名分の両方含む即位の宣命があります。それは慶應四年(1868)八月二十七日に発布された明治天皇の即位の宣命です(翌九月に「明治」に改元)。当該部分を紹介します。

 「掛(かけまくも)畏(かしこ)き近江の大津の宮に、御宇(あめのした)しろしめし、天皇の初め賜ひ定め賜へる法の随(まま)に、仕え奉(まつる)と仰せ賜ひ授け賜ひ」
 「橿原の宮に御宇しろしめし、天皇の御(おん)創(はじ)めたまへる業(わざ)の古(いにしへに)基(もとづ)き、大御世を弥(いや)益々に、吉(よ)き御代と固(かため)成(な)し賜はむ」

 このように、近世においても天智天皇と神武天皇の二人が皇室の歴史的権威の淵源とされていることは興味深いことと思います。

【明治天皇の即位の宣命 原文】
 「現神止大洲国所知須、天皇我詔旨良万止宣布勅命乎、親王諸臣百官人等、天下公民衆聞食止宣布。掛畏伎平安宮爾、御宇須倭根子天皇我、宜布此天日嗣高座乃業乎、掛畏伎近江乃大津乃宮爾、御宇志、天皇乃初賜比定賜倍留法随爾、仕奉止仰賜比授賜比、恐美受賜倍留御代々乃御定有可上爾、方今天下乃大政古爾復志賜比弖、橿原乃宮爾御宇志、天皇御創業乃古爾基伎、大御世袁弥益々爾、吉伎御代止固成賜波牟、其大御位爾即世賜比弖、進毛退毛不知爾恐美坐佐久止宣布大命乎、衆聞食止宣布。(後略)」


第2160話 2020/05/27

【会員の皆様への緊急告知
会員総会中止と代替措置の報告

 古田史学の会・役員会は、例年六月に開催してきた定期会員総会とそれに先立つ全国世話人会の招集を、本年については中止することを決定しましたので会員の皆様にお知らせいたします。
 おりからのコロナ禍による緊急事態宣言発令などの影響を受け、古田史学の会も例会活動や講演会の開催中止を余儀なくされてきました。会員総会についても現時点での開催は困難との認識に立ち、総会に代えて、『古田史学会報』に事業報告・決算報告・新年度予算案・人事案などを掲載することとしました。総会としての審議・決議が行えませんので、新年度の予算案・事業計画などは従来と大差なきよう配慮しました。また、それらについて会員の皆様からのご意見などがあれば、事務局までお手紙などでご連絡いただきたいと存じます。これらの措置をもって会員総会での審議・決議に代えさせていただきたいと存じます。
 会員の皆様にはご迷惑をおかけすることになりますが、コロナ禍という現状において、苦渋の決断であることをご理解いただきますようお願い申し上げます。
 古田史学の会はこれからも会の目的実現のために奮闘してまいります。会員の皆様の変わらぬご支援ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。
     令和二年(二〇二〇)五月二七日
              古田史学の会・代表 古賀達也


第2156話 2020/05/21

九州王朝の現地説明動画がすごい

 「古田史学の会」事務局次長の竹村順弘さんから、素晴らしいYouTube動画のご紹介メールが届きました。九州王朝説を太宰府都府楼跡や大野城・水城の現地で説明するという動画で、とてもわかりやすく、初心者向けの優れた編集でした。「古田史学の会」ホームページの存在にも触れていただいています。
 竹村さんからのメールを転載します。皆さんもぜひご覧になって下さい。そして、多くの方にご紹介いただければ幸いです。

〔以下、竹村さんからのメール〕

前略。毎度、お世話になっております。
昨日の参加者の皆様、お疲れさまでした。
WEBで面白い記事を見かけました。
下記にURLを記します。
第4話のコメント欄に、服部さんのクラウド講演会も紹介しておきました。

竹村順弘

=============
【古代史探索の旅Ⅱ】第1話 失われた歴史/九州王朝(前編) 大宰府と古代山城
@21,927 回視聴@2019/09/08
https://www.youtube.com/watch?v=qO6BXpiOOtk

【古代史探索の旅Ⅱ】第2話 失われた歴史/九州王朝(後編) 根拠となる史跡・資料をまとめています@12,770 回視聴@2019/10/05
https://www.youtube.com/watch?v=xvElxYBjXls

【古代史探索の旅Ⅱ】第3話 卑弥呼は九州にいた/邪馬台国が北部九州にあったことを結論付けることができました@47,482 回視聴@2020/01/14
https://www.youtube.com/watch?v=8ycasej7InU

【古代史探索の旅Ⅱ】第4話 邪馬台国の所在地を最も正しい(と思う)方法で推定しました@14,630 回視聴@2020/05/12
https://www.youtube.com/watch?v=CG-mNL-6d8g
=============

〔以下、動画への竹村さんのコメント〕

第1話から第4話までの素晴らしい作品を見させて頂きました。
コロナ禍で取材が続行できないとのこと、残念です。
私たちも、同様にコロナ禍で、勉強会や研究会が開催できずにおります。
そこで、私たちも動画を作ってみました。
【古代史探索の旅Ⅱ】のような凝った編集はできませんが、手作り感満載です。
ご視聴いただければ幸甚です。


第2145話 2020/05/03

クラウド(YouTube)古代史講演会のご案内

 本日、竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)より、下記のメールが届きましたので紹介します。日本社会で自粛が続く中、ネットやSNSを用いて「古田史学の会」として何か発信やバーチャル例会などができないかと竹村さんに相談してきたのですが、この度、YouTubeで服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)による古代史講演が配信されることになりました。皆様からのご意見やご要望などを参考にしながら改良・発展させることができます。ご視聴とご協力をお願いします。

【以下、転載】
前略。毎度、お世話になっております。
服部編集長によるクラウド講演会、ユーチューブにアップ中です。
竹村順弘

【クラウド講演会@服部静尚】
「古田武彦氏の多元史観で古代史を語る」

1. 邪馬台国と卑弥呼

その1、中国正史が示す邪馬壹国
 @DSCN7167@14:32@https://youtu.be/Gz33rinBUNM
その2、短里と長里1
 @DSCN7172@09:45@https://youtu.be/XNCYi5lLB2o
その3、短里と長里2
 @DSCN7179@15:01@https://youtu.be/vwp205KVxDg
その4、卑弥呼が朝貢した理由
 @DSCN7145@16:43@https://youtu.be/sHj9Qv0jISk

2. 古墳と多元史観

その1、考古学者が畿内説を支持する理由
 @DSCN7149@14:20@https://youtu.be/Mpz1xCmPFvg
その2、箸墓古墳は卑弥呼の墓か
 @DSCN7152@15:15@https://youtu.be/PUq0Q7LC4rA
その3、盗まれた天皇陵
 @DSCN7535@22:28@https://youtu.be/1sPCtXRdqyQ

3. 倭国独立と倭国年号

その1、倭の五王から冊封離脱まで
 @DSCN7542@17:18@https://youtu.be/mNbgsDWMH78
その2、白鳳は倭国の年号
 @DSCN7552@17:01@https://youtu.be/eQH85xWtzdU
その3、天皇系図にあった倭国年号
 @DSCN7558@17:10@https://youtu.be/io1q57S8T6g
その4、金石文に倭国年号が少ない理由
 @DSCN7562@13:23@https://youtu.be/I5Arm9CVnyk

4. 聖徳太子の実像

その1、天王寺と四天王寺
 @DSCN7566@25:09@https://youtu.be/DtETIQqYWEU
その2、十七条憲法は聖徳太子作ではない
 @DSCN7569@19:34@https://youtu.be/y_abm4z1f-I
その3、十七条憲法とは
 @DSCN7571@23:32@https://youtu.be/O1HNmmD7M04
その4、蘇我氏と天皇家の関係
 @DSCN7607@18:13@https://youtu.be/g0GW5uiyhJw

その5、古代瓦と飛鳥寺院
@DSCN7623@20:34@https://youtu.be/IiSk-flP8cI

5. 大化の改新

その1、関に護られた難波宮
@DSCN7636@17:57@https://youtu.be/oZs08M9-vFw
その2、難波宮の官衙に官僚八千人
@DSCN7663@15:15@https://youtu.be/TDRW1i4flhc
その3、条坊都市はなぜ造られたのか
@DSCN7670@13:55@https://youtu.be/7FFX9B7I8mw

6. 天皇と飛鳥

その1、飛鳥のなぞ1
@DSCN7676@17:29@https://youtu.be/D_BPOFKUAU4

その2、飛鳥のなぞ2
@DSCN7682@18:17@https://youtu.be/kJ-4ouxnnCU

その3、法隆寺薬師如来像と天皇称号
@DSCN7684@16:28@https://youtu.be/S2WDHjDUnkk

7. 白村江戦と壬申の乱

その1、白村江戦と泰山封禅
@DSCN7958@23:49https://youtu.be/21viX5nGAYk

その2、筑紫都督府と日本国成立
@DSCN7960@18:16@https://youtu.be/wF01jMxe4cg

その3、壬申の乱の八つのなぞ
@DSCN7965@21:54@https://youtu.be/cpx_MMqzx_s

その4、壬申の乱は2つの王朝の戦い
@DSCN7978@12:55@https://youtu.be/bn_SsvQ6v-A

8. その他

その1、『紀』中国人述作を批判する1
@DSCN7987@19:37@https://youtu.be/LSiqlzDHpGY

その3、『紀』中国人述作を批判する2
@DSCN8003@11:51@https://youtu.be/pp_nCYbON1E

その3、総括
@DSCN8009@0:28@https://youtu.be/Hh01XQVBthc


第2141話 2020/04/24

竹田侑子さんからのお礼状

 わたしたち「古田史学の会」では、会員論集『古代に真実を求めて』を友好団体などに贈呈させていただいています。この度上梓した『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』(『古代に真実を求めて』23集)を贈呈した竹田侑子さん(秋田孝季集史研究会・会長、弘前市)からお礼状が届きましたので紹介します。

【お礼状から一部転載】
(前略)
 それにしても魅力的なタイトルです。
 頂戴していつも、タイトル選びが上手だな、と思うのですが、今回は執筆者の皆様が、九州王朝が失われてからの日本の歴史にどんな孤独を抱いたのだろうか、などと連想させるような、余韻を漂わせていました。
 これから、じっくりと心して読ませていただきます。
 楽しみです。本当にありがとうございました。

 日々ご多忙と拝察しておりますが、ご自愛くださり、「古田会」を引っ張っていってくださることを願っております。
                        草々

                    2020年4月15日
                       竹田侑子
(後略)
【転載おわり】

 同書のタイトルをお褒めいただき、安心しました。というのも、今回のタイトルは敢えて文学的表現にしたのですが、読者から評価していただけるものか、正直不安だったのです。
 もっとよいタイトルがあるのではないかと悩み続けて、最終的には正木裕さんの「〝日本書紀〟だけではなく、〝古事記〟もタイトルにいれるべき」というご意見を採用し、さらに当初案はメインタイトルが「消えた古代王朝」、サブタイトルが「『古事記』『日本書紀』千三百年の孤独」だったのですが、服部編集長のご意見により、メインタイトルとサブタイトルを入れ替えることになったものです。
 その後も、久冨直子さん(編集部員)から別のタイトル案も出され、最終的には明石書店の編集会議で『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』が採用されました。明石書店内でもかなり議論になったとうかがっています。タイトルの善し悪しが、本の売れ行きに大きく影響しますから、竹田さんからのお褒めの言葉は大変励みになりました。
 なお、『古代に真実を求めて』は18集から特集テーマを前面に出して、タイトルも新たに付けることにしました。おかげさまで、それ以来、販売部数が伸びて、再版されるようにもなりました。竹田さんからお褒めいただいた各号のタイトルは次のようなものです。

18集 盗まれた「聖徳太子」伝承
19集 追悼特集 古田武彦は死なず
20集 失われた倭国年号《大和朝廷以前》
21集 発見された倭京 太宰府都城と官道
22集 倭国古伝 姫と英雄(ヒーロー)と神々の古代史
23集 「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝


第2130話 2020/04/09

4月度「古田史学の会」関西例会を中止します

 この度の新型コロナウィルス対策として発出された政府の緊急事態宣言により、4月18日の「古田史学の会」関西例会会場のドーンセンターが閉鎖となりました。そのため、「古田史学の会」では4月度の関西例会中止を決定しましたので、お知らせいたします。
 関係者、会員の皆様にはご迷惑やご心配をおかけすることになり、申し訳ございません。今後の「関西例会」など諸行事の開催状況につきましても適切に判断し、ホームページ「新・古代学の扉」で案内いたしますので、皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。会員の皆様におかれましては一層ご健康に留意していただき、またお元気なお顔を拝見できることを願っております。

追伸 「市民古代史の会・京都」主催の古代史講演会も4月度(講師:古賀)・5月度(講師:正木さん)の中止を決定されたとのご連絡をいただきましたので、ご一報申し上げます。


第2128話 2020/04/07

奈良新聞に

『古代に真実を求めて』23集プレゼントの案内

 奈良新聞(2020.04.04)に、古代大和史研究会(原幸子代表)からの『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝』(『古代に真実を求めて』23集)読者プレゼントの案内が掲載されました。
 記事には次のように同書が紹介されています。

 〝古代史研究家の故古田武彦氏は、大和朝廷に先立って九州王朝が存在し、中国史書に見える「倭国」とは九州王朝とする多元的歴史観・九州王朝説を提唱した。同書は古田氏の多元的歴史観に基づく史料批判により、「古事記」「日本書紀」の中に失われた九州王朝「倭国」の痕跡を探り出し、「真実の古代史像」を明らかにする。〟

 奈良新聞の読者に古田史学・古田武彦ファンが増えることが期待されます。古代大和史研究会の取り組みと、掲載していただいた奈良新聞に感謝いたします。


第2122話 2020/03/30

新型コロナウィルスの対策方針について

 新型コロナウィルスの感染拡大による各種イベントの自粛要請などを受けて、「古田史学の会」役員会は、当面、次のような対策と各種講演会への対応方針を決定しましたので、会員や講演会・例会参加者の皆様にお知らせいたします。ご理解とご協力をお願い申し上げます。

1.関連自治体や会場管理者の要請に応じて、各種イベント開催の是非や講師派遣などの協力について適切に判断いたします。

2.関西例会など主催イベントの開催も上記に準じ、開催する場合は発表者を始め参加者にマスク着用、手の消毒などの協力を要請します。ご高齢者や病弱な方の命と健康を守るため、咳や発熱などの症状がある方のご入場をご遠慮いただきます。また、持病をお持ちの高齢者の参加は自粛をお願い申し上げます。

3関係団体主催イベントへの講師派遣については、必要な安全対策を要請し、講師の安全確保が困難と判断した場合は講師派遣などの協力をお断りします。

4.政府や関連自治体の方針に基づき、上記の対応を継続します。具体的なイベント開催の中止や延期などについては「古田史学の会」ホームページ、『古田史学会報』などで告知いたします。

以上

 この難局を乗り越えるために、皆様のご理解とご協力を重ねてお願い申し上げます。


第2054話 2019/12/11

三宅利喜男さんと三波春夫さんのこと(3)

 三宅利喜男さんは「市民の古代研究会」時代からの古田先生の支持者で、優れた古代史研究を発表されてきました。「古田史学の会」創立後には、反古田に変質した「市民の古代研究会」に見切りをつけて、「古田史学の会」へ参加されました。また、小林嘉朗さん(古田史学の会・副代表)のお話では、「古田史学の会・関西」の遺跡巡りハイキングの第1回目からの参加者(案内役)だったとのことです。
 三宅さんの研究論文で、最も衝撃を受けたものが「『新撰姓氏録』の証言」(『古田史学会報』29号、1998年12月)でした。『新撰姓氏録』に記された古代氏族の祖先が、特定の天皇に集中していることを指摘された論稿で、古田先生も天孫降臨の時代を推定する上で、優れた研究と評価されていました。
 こうした三宅さんの研究業績を埋もれさせることなく、この機会に顕彰したいと考え、インターネット担当の横田幸男さん(古田史学の会・全国世話人)に相談したところ、下記のように「三宅利喜男論集」をホームページ「新・古代学の扉」内に開設していただきました。是非、皆さんも見てみて下さい。

暫定リンク版【三宅利喜男論集】

1.「新撰姓氏録」の証言
『古代に真実を求めて』第三号(二〇〇〇年十一月)より現在編集中、本人の了解が取れれば発行します。
 要旨は、『古田史学会報』二十九号「『新撰姓氏録』の証言」と、『古田史学会報』四十七号「続『新撰姓氏録』の証言 — 神別より見る王権神話の二元構造」に記載されています。

2.小林よしのり作 漫画『戦争論』について
『古田史学会報』二十九号(一九九九年二月)

3.『播磨国風土記』と大帯考
『市民の古代』第十三集(一九九一年)

4.九州王朝説からみる『日本書紀』成書過程と区分の検証
『市民の古代』第十五集(一九九三年)

5.続『日本書紀』成書過程の検証 — 編年と外交記事の造作
『市民の古代』第十六集(一九九四年)

【書誌目録】

1.続『新撰姓氏録』の証言〔古代史の海(26), 59-61, 2001-12〕

2.音韻と区分論(特集 渡部正理氏の「『日本書紀の謎を解く』への疑問」)〔古代史の海(24), 13-15, 2001-06〕

3.『新撰姓氏録』の証言 三宅利喜男〔古代史の海(22), 31-36, 2000-12〕

4.「日本書紀」書き継ぎ論–『古事記』未完論に寄せて〔古代史の海(12), 60-69, 1998-06〕

5.主神論〔古代史の海(9), 42-47, 1997-09)

6.『日本書紀』に現れる古代朝鮮記事〔古代史の海(4), 55-59, 1996-06〕

7.倭の五王は大阪に眠る(越境としての古代3 , 2005-05)

他の書誌および『市民の古代研究』などは、後日確認いたします。


第2053話 2019/12/09

三宅利喜男さんと三波春夫さんのこと(2)

 正木さんからの返事によれば、三宅利喜男さんは2015年に退会されておられ、恐らくご高齢による退会と思われるとのことでした。確かに三宅さんは古田先生よりも年上と記憶していましたので、今では94歳になられていることと思います。会員名簿に残っている電話番号に電話をかけましたが、今は使われていないとのアナウンスが返ってきました。もし、三宅さんの現在の連絡先かご家族ご親戚をご存じの方がこの「洛中洛外日記」を読んでおられましたら、ご一報いただけないでしょうか。
 わたしが、テレビで三波春夫さんを見て、三宅さんのことを思い出したのは次のような経緯があったからです。終戦間際、三宅さんは十代の青年将校として朝鮮半島・満州方面に配属され、そのとき、三波春夫(1923-2001、本名:北詰文司)さんが同じ連隊におられ、浪曲師として軍隊内でも人気があったとのこと。
 このような戦地での思い出話を三宅さんからお聞きする機会がよくありました。貴重な体験談ですので、わたしもいろいろと教えていただいたものです。
 たとえば、ソ連軍が参戦したとき、満州の国境地帯に派遣されており、その情報を伝えることと、軍事機密の暗号解読書を持ち帰る必要があり、部隊を引き連れて命がけでソウルまで帰還したとのこと。平野部はソ連軍が展開しているため、山岳地帯ルートで脱出され、途中、子供を連れて満州から逃げているご婦人が疲労困ぱいで座り込んでいたので、持っていた岩塩を分けてあげたところ、幼子を負ぶったそのご婦人はもう一人の子供の手を引いて歩き出したという悲しい体験などをお聞きしたこともありました。関東軍司令部が兵士や民間人を置き去りにして、早々と逃げ帰ったと、三宅さんは憤っておられました。
 ソウル行きの最後の「病院列車」に間に合い、部隊は列車の屋根の上に乗ったが、全員血まみれだったそうです。「なぜ血まみれになったのですか」とたずねると、ソ連軍の包囲網を突破するため〝切り込み〟をかけたとのことでした。ソウルに着くと、要請されてソウル警察隊の設立と訓練を手伝い、その後に部隊全員を連れて帰国されました。そのときの兵士たちは全員が三宅さんより年長の古参兵だったのですが、三宅さん以外の将校は戦死したため、若い三宅さんが指揮を執り、「全員、日本に連れて帰る」と言うと、古参兵たちはよく命令に従ったそうです。
 無事に部隊を連れて帰国し、九州から大阪方面行きの鉄道に乗ったものの、広島の手前で列車は止まり、そこからは歩いて次の駅まで行ったとのこと。原爆で広島市内の鉄道が破壊され、市内一面が焼け野原だったそうです。もしかすると、そのとき古田先生も仙台から広島に戻られていた可能性がありそうです。
 こうした三宅さんの「軍歴」を、『古田史学会報』30号(1999年2月)掲載の三宅利喜男「小林よしのり作 漫画『戦争論』について」より転載します。(つづく)

〔三宅利喜男氏軍歴〕大正14年(1925)7月24日生
昭和19年12月 陸軍航空通信学校卒業。
  20年 5月 鞍山(満州)第三航空情報隊転属。温春(満州)第十一航空情報隊転属。
     7月 満・ソ・朝国境方面に出向。
     8月9日 ソ軍と戦闘。清津(北朝鮮)通信所にて連絡中、ソ軍の上陸始まる。茂山白頭山系より病院列車でソウル航空軍司令部へ。終戦を知る(19日)。
     9月 ソウル南大門警察に所属。韓国保安隊訓練を指導。
    10月 安養で米軍に武器引渡し。
    11月 釜山より部隊を連れ帰国。


第2052話 2019/12/08

三宅利喜男さんと三波春夫さんのこと(1)

 「岩本さんのポスターがテレビに出てはる」と妻に言われて、久しぶりにNHKの大河ドラマ「いだてん」を見ました。というのも、ご近所の岩本光司さんは前回1964年の東京オリンピック公式ポスターのモデルなのですが、そのポスターが重要なアイテムとして何度もテレビ画面に出ているのです。
 岩本家とは家族ぐるみの永いお付き合いですが、岩本さんは学生時代(早稲田大学)、水泳(バタフライ)の選手で、アジア大会で優勝し、オリンピックでのメダル獲得間違いなしと言われていました。そのため、東京オリンピック公式ポスターのモデルに抜擢され、バタフライで泳いでいる迫力満点の写真が日本中に貼られたのです。
 ところが岩本青年に悲劇が起こります。オリンピック出場を決める選考会レースの直前に病気になられ、オリンピックに出場できなかったのです。ショックで岩本さんは一旦は水泳から離れられたのですが、その数十年後、マスターズ水泳に出場され、世界記録をなんと60回以上更新するという世界のトップスイマーとして復活されたのです。今も現役で活躍されています。そして2020年の東京オリンピックを前にして、岩本さんと1964年のポスターが再び脚光を浴び、テレビや新聞に引っ張りだことなられ、今回の大河ドラマに「ポスター出演」となった次第です。
 その大河ドラマ「いだてん」に演歌歌手の三波春夫さんも登場し、あの懐かしい「オリンピックの顔と顔、それととんと、ととんと、顔と顔」という東京五輪音頭がテレビ画面に流れたのです。そのとき、わたしは「古田史学の会」の会員、三宅利喜男さんのことを思い出しました。そして、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)に三宅さんが今も会に在籍されているのかを問い合わせたのです。(つづく)


第2030話 2019/11/01

首里城焼亡を悼む

 沖縄県の象徴的建造物であり文化遺産の首里城が火災により失われたことをニュースで知りました。沖縄県民や首里城を愛しておられる皆様のお嘆きはいかばかりか。心より同情申し上げます。

 今回の首里城焼亡の様子をテレビで見ていて、巨大木造建築物に一旦火がつくと、その火の手の速さが想像以上であったことに驚きを禁じ得ませんでした。
 古代史研究においても『日本書紀』に記された著名な火災記事として、法隆寺(天智九年・670年)と難波宮(天武紀朱鳥元年・686年)の焼亡があります。特に難波宮(前期難波宮)は瓦葺きではないことから、外部の火災であってもその火の粉により類焼しやすいことと思われますし、上町台地上という立地条件により、消火のための「水利施設」が十分にあったとも考えられません。従って、その延焼速度は今回の首里城よりも速かったのではないでしょうか。
 『日本書紀』天武紀朱鳥元年正月条には難波宮焼亡が次のように記されています。

 「乙卯(十六日)の酉のとき(午後六時頃・日没時)に、難波の大蔵省失火して、宮室悉(ことごと)く焚(や)けぬ。或いは曰く、阿斗連薬が家の失火、引(ほびこ)りて宮室に及べりという。唯(ただ)し兵庫職のみは焚けず。」

 この記事によれば、大蔵省か阿斗連薬の家で発生した火災により、宮殿が全焼したことになります。しかも「酉のとき」日没の時間帯ですから、瀬戸内海方面に沈む夕日に照らされる中、当時、日本列島内最大規模の難波宮(前期難波宮)が紅蓮の炎の中に焼亡する様子を、難波の都人たちは為す術もなく眺めていたことでしょう。
 現代も古代も、このような火災は痛ましいものです。難波宮跡からはこの火災により焼けた焼土層が検出されており、それにより整地層上に重層的に建設された前期難波宮と後期難波宮の遺構を区別することが可能な場所もあります。あるいは、瓦葺きだった後期難波宮の遺構層位からはその瓦が出土しますから、このことによっても前期難波宮と後期難波宮の遺構の区別が可能です。
 また、前期難波宮焼土層からは白い漆喰も多数出土しており、前期難波宮の主要施設は漆喰で加工されていたと推定されています。しかし、その漆喰も火災を止めることはできませんでした。
 白い漆喰により表面が加工されていた前期難波宮は、恐らく現在の改修後の姫路城のように白い宮殿だったのではないでしょうか。その完成間近の前期難波宮で白雉改元の儀式が執り行われています(九州年号「白雉元年」652年。『日本書紀』には二年ずらされて650年を「白雉元年」とし、その二月に大々的な白雉改元儀式記事が挿入されています。拙稿「白雉改元の史料批判」をご参照下さい。『「九州年号」の研究』に再録)。
 姫路城が「白鷺城」の異名を持つように、前期難波宮も「白雉宮」と呼ばれていたのではないかと、わたしは想像しています。「白雉元年(652)」九月に完成したという、九州年号の「白雉」と白い漆喰の出土しか、今のところ根拠がない作業仮説ですが、いかがでしょうか。


第2022話 2019/10/26

即位礼正殿の儀の光景(3)
〝古代の伝統を継ぐ茶色染料〟

 本シリーズの最後に、一般の方々にはまず知られていない現在におけるウールの茶色染色が「黄櫨染御袍」と同様の染色の設計思想に基づいていることをお教えします。
 茶色の染色が難しいことは本稿二節で触れましたが、「黄櫨染御袍」では櫨(黄色)と蘇芳(赤色)の二色を混ぜて茶色にしています。というのも、きれいで高堅牢度の茶色の天然染料はありそうでなかなかありません。そのため、こうした配合染色により茶色にするわけですが、現在のウールでも同様なのです。ウールの茶色染色には、カラーインデックスナンバー(染料の国際分類番号)で「モルダント・ブラウン・15」(Mordant Brown 15)と呼ばれる金属媒染染料が最も使用されています。この染料も実はオレンジ色と青色の配合染料なのです。もちろん、一成分だけで茶色になる染料もあるにはあるのですが、価格や性能において「モルダント・ブラウン15」が抜きん出ているため、結果として他の茶色染料は淘汰されつつあります。
 わたしの勤務先はこのウール用茶色染料を国内で製造している唯一の会社ですから、その製造の難しさや原材料調達の困難さなど、身にしみて知っています。この度の即位礼正殿の儀での「黄櫨染御袍」を拝見して、こうした伝統文化の末端に関わってこられたことに感謝し、これらの技術を次世代に伝えなければならないと思いました。(おわり)


第2020話 2019/10/24

即位礼正殿の儀の光景(2)
「黄櫨染御袍」に使用された蘇芳(すおう)

 新天皇の「即位礼正殿の儀」で着用された「黄櫨染御袍」は、光源の変化により色調が変化することを紹介しました。これにはかなりの技術が必要なのですが、それよりもすごい染色技術が京都の匠(染織家)により発明されています。それは五年ほど前にお会いしたご高齢の匠から見せていただいたもので、「貴婦人」と名付けられたシルクの染色糸です。
 「貴婦人」は「黄櫨染御袍」よりも青みの茶色をしていました。ところが、同じ室内光(蛍光灯)下でも糸束をねじったり角度を変えると、色調が茶色から濃緑色に変化するのです。ここまで変化するシルク糸は初めて見ました(化学繊維であれば機能性色素を用いて簡単にできます)。恐らく「演色性」だけではなく、シルクの成分であるフィブロインやセリシンを複数の染料で染め分けているのではないかと思い、使用した染料をたずねましたが、教えてはいただけませんでした。しかし、その糸束をわけていただくことができ、わたしは勤務先の科学分析機器を駆使して、染料成分分析や繊維構造解析を行いました。恐らく、自らが発明した「貴婦人」の染色技術を次世代の技術者に継がせたいとの思いから、貴重な糸束をわけていただいたものと感謝しています。
 話を「黄櫨染御袍」に戻します。使用された蘇芳は南方の国(インド、マレーシア)が原産地であり、〝輸入〟しなければならないのですが、もしかすると入手はそれほど困難なことではなかったのではないでしょうか。
 「洛中洛外日記」2006〜2014話(2019/10/06〜13)で連載した〝九州王朝の「北海道」「北陸道」の終着点(1)〜(9)〟において、わたしは九州王朝(倭国)の東西南北の「道」の「方面軍」という仮説を発表し、その「南海道」の終着点を今の沖縄・台湾とする説と中南米とする説を提起しました。いずれにしても、強力な海軍力を有してした九州王朝であれば、「南国」の蘇芳を入手することは可能と思われますし、あるいはその「南国」からの使者が九州王朝へお土産として持参した可能性さえあります。「黄櫨染御袍」の製造のため蘇芳を九州王朝が欲しがっていたとすれば、少なくとも「西国」百済から贈呈された七支刀と比べれば、自国に自生している蘇芳の木の贈呈は輸送コストはかかるものの、手間をかけて〝製造〟する必要もない〝お安いご用〟ですから。
 こうした視点を重視しますと、日本列島内を軍事的に展開(侵略)する「東山道」「北陸道」の「方面軍」とは異なり、「海道」の「方面軍」の主目的は「軍事」というよりも「交易」だったのではないかとの考えに至りました(軍事的側面を否定するものではありません)。大型船造船技術と航海技術があれば、大量の物資運搬にも海上郵送は便利です。一つの仮説として検討の俎上に乗せたいと思います。


第2018話 2019/10/22

即位礼正殿の儀の光景(1)
「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」

 本日、執り行われた新天皇の「即位礼正殿の儀」をテレビで拝見いたしました。まるで平安時代の王朝絵巻を見ているようで、感動しました。そして何よりもわたしが着目したのは、やはり職業柄か、両陛下や皇族方の装束の色彩でした。
 わたしの本職は染料化学・染色化学のケミストですので、どうしても衣装の色に目が行ってしまい、古代において使用されたであろう染料の分子構造式と染色技術(草木染めか)、そして衣装の繊維素材は何だろうかと、そうした疑問が頭の中をぐるぐると廻ります。そうやって出した科学的結論を妻に説明しようとすると、「やめてッ!」と言われてしまいました。そこで、「洛中洛外日記」読者の皆さんにさわりだけ説明させていただきますので、ちょっとお付き合い下さい。
 わたしが最も注目したのが天皇しか着ることが許されないという「黄櫨染御袍」でした。高御座の幕が開かれたとき、その色調に驚きました。想像していたよりも赤みが強い茶色だったからです。近代では合成染料が発達して、容易に茶色が出せるようになりましたが、以前は茶色を再現性良く出すことは高度な染色技術が必要とされていました。古代であればなおさらです。
 「黄櫨染御袍」も古代から伝わる染料と染色技術により、あの色相が出されていますので、それはまさに〝匠の技〟と言えます。しかも「黄櫨染御袍」は朝夕と昼間では異なる色調を発します。それは「演色性」という光学現象を利用したもので、太陽光中の光の波長分布が朝夕と昼間では異なって地上に届くという現象により、大きく色調が変化する染料(複数)が使用されていることによります。ですから、テレビを見ていて、「黄櫨染御袍」に使用された染料の推定とその分子構造が瞬時に脳裏を駆け巡ったのです。そのときの、わたしの推論は次のようなものでした。

①「黄櫨染」というからには、「櫨(はぜ・はじ)」の色素(フラボノール系色素:fustin)が使用されているはず。
②しかも「黄」とあるから、櫨の木の黄色の成分を用いて、アルミ明礬で媒染染色されているはず。
③というのも、金属で媒染染色しなければ草木染めの天然染料は日光堅牢度が劣り、使用に耐えない。
④従って、高堅牢度の黄色に発色させるためにはアルミ明礬か木材(主に椿)の灰に含まれるアルミ成分(+微量のカルシウム成分)の使用が考えられる。古代の染色において、「灰」の使用は『延喜式』などに見える既知の技術。
⑤しかし、「櫨」だけではあの赤みの茶色にはならず、更に青みの赤色染料も使用されているはず。
⑥古代において使用されている青みの赤色染料としては、「茜(あかね)」(アリザリン系色素)と「蘇芳(すおう)」(色素成分はbrazilein)が有名。
⑦「茜」は『万葉集』にも詠まれているように国内に自生しており、入手は容易。他方、「蘇芳」は南方の国(インド、マレーシア)が原産地とされ、〝輸入〟しなければならない。
⑧入手し易さでは「茜」だが、「黄櫨染御袍」のあの深みのある赤みの茶色を出すには「蘇芳」が望ましい。
⑨染色技術的にはどちらもアルミで媒染により赤色が出せるので、どちらを使用したのかは判断し難い。

 概ね以上のような思考が堂々巡りしたため、インターネットで確かめることにしました。その結果、「櫨」と「蘇芳」が「黄櫨染御袍」には使用されているとありましたので、わたしの推論はほぼ当たっていました。それにしても、とても美しく神々しい「黄櫨染御袍」でした。(つづく)


第2004話 2019/10/03

『東京古田会ニュース』188号の紹介

『東京古田会ニュース』188号が届きました。今号も力作揃いでした。拙稿「山城(京都市)の古代寺院と九州王朝」も掲載していただきました。今まで古田史学・多元史観の研究者からはほとんど取り上げられることがなかった京都市域の七世紀の寺院遺跡を紹介し、それらと九州王朝との関係性についての可能性を論じたものです。京都市は近畿天皇家の千年の都・平安京の地ですから、そこが九州王朝と関係があったとは思いもしませんでした。本格的な調査研究はこれからですが、新たな多元的「山城国」研究の展開が期待されます。
 今号で最も注目した論稿は安彦克己さんの「『ダークミステリー』は放送法四条に違反する」でした。今年6月13日、NHKより放送された『ダークミステリー 隠された謎』において、『東日流外三郡誌』などの「和田家文書」を偽作として解説し、それを古田先生が真作として支持したことを揶揄するという、悪質な番組編成を安彦さんは批判されました。そしてそれは放送の中立性と公平性を定めた放送法四条に違反していると指弾されました。まことにもっともなご意見です。
 近年のテレビ報道番組などの中立性・公平性について問題が少なくないことは各方面から指摘されているところで、今回の安彦さんの論稿はこうした現代メディア批判でもあり、貴重な意見表明です。なお、同番組のことは、9月16日に開催した『倭国古伝』出版記念東京講演会の懇親会で安彦さんから教えていただいたもので、それまでわたしは知りませんでした。なぜ古田武彦攻撃のような番組がこの時期に放送されたのか、気になるところです。「和田家文書」の史料価値をどのようにして社会に訴えていくべきか、よく考える必要があるように思いました。