現代一覧

第64話2006/02/25

『耳納』
 先日、『耳納』254号が送られてきました。『耳納』と書いて「みのう」と読みます。福岡県筑後地方の教育関係者や郷土史家で構成される「福岡県うきは・三井・久留米教育耳納会」が発行する雑誌で、教育や郷土の歴史に関する原稿が掲載されています。雑誌名の『耳納』は筑後地方をはしる水縄連山の「みのう」の別字表記です。耳に納めるという、なんとも含蓄のある表記ではないでしょうか。
 この『耳納』は戦後まもなく筑後地方の教師により発行されたもので、全国的に見ても同類の雑誌では最長の歴史を有しています。この『耳納』をあるときは一人で支えてこられたのが吉井町の教師で郷土史家の石井康夫先生です。石井先生は戦後教育史を体現されてきた人物と言っても過言ではないでしょう。温厚な先生ですが、教育や平和運動、郷土に深い愛情と情熱を注いで来られました。わたしが尊敬する人物のお一人です。
 わたしも数年前より同会に入会させていただき、百姓一揆や古代史に関する論文を『耳納』に掲載していただいています。江戸時代の久留米藩百姓一揆の指導者の墓を調査されていた石井先生に父の紹介でお会いしたのが、お付き合いのきっかけでした。ちなみに、わたしの七代前の先祖(西溝尻村庄屋・古賀勘右衛門)が、浮羽郡の一揆の指導者でさらし首になったのですが、その墓を父や地元の人々が守っていたのでした。
 『耳納』254号には通説に基づく古代史の紹介なども掲載されていますが、他の雑誌とはちょっと違うのが、その中にきちんと九州王朝説も紹介されていることです。同会の事務局は下記の通りです。興味のある方は、問い合わせて見て下さい。

福岡県うきは・三井・久留米教育耳納会 事務局
〒839−1226
久留米市田主丸町八幡457
永松勲様方
電話090−9473−3477


第62話2006/02/12

海を渡った舞女たち            
       
       
         
 昨日は、家の近所にある京都府立文化芸術会館で行われた「第27回Kyoto演劇フェスティバル」へ行き、劇団T・E・Iによる「終わりこそ始めなれ〜
母なる思いを求めて〜」という劇を見てきました。沖縄、広島、満州(大陸の花嫁)の語り部による詩や俳句・短歌の朗読を中心とした、暗く重いテーマを題材
とした劇でした。
 劇団T・E・Iは同志社中学校演劇部OBやOGが急遽集まってできたユニットで、出演者は全員10代20代前半の若い女性。その彼女等が語り部の老人に
扮して60年前の戦争を語るという設定で、「生ましめんかな」(栗原貞子作)や「わたしが一番きれいだったとき」(茨木のり子作)などの詩を中心に舞台が
展開します。
 語り部が重々しくそれぞれの戦争体験を語り、「わたしが一番きれいだったとき、町にはジャズが流れていた」という一節の後、照明や出演者の衣装は一転
し、若い乙女に戻った語り部たちが「イン・ザ・ムード」の軽快なテンポにのって嬌声と共に華やかなジャズダンスを繰り広げ、ラストとなりました。
  これも「戦争体験」を新しい世代が語り継ぐ一つの試みなのだと思いながら、若さ溢れるダンスをまぶしく見ていました。同時に、歴史や戦争に翻弄された多くの女性たちに思いを馳せたとき、15年前に研究していた『旧唐書』の次の一節を思い起こしました。

 「渤海使、日本国の舞女十一人を献ず。」(『旧唐書』本紀・大暦十二〈777〉年)

 渤海国の使者が日本国の舞女11人を唐の皇帝へ献上したという記事ですが、この11人の舞女たちは、いつどのような事情で渤海国へ渡ったのでしょうか、
そして唐での運命はどうなったのでしょうか。史書は何も語っていません。歴史を学ぶ者の一人として、舞女たちの運命に心を痛めずにはいられません。
   久しぶりの観劇に、現代史と古代史がオーバーラップした瞬間でした。どうか、世界が平和へ向かいますように。世界の人々やこの娘達が幸福な人生でありますように。


第61話2006/02/04

「万世一系」の史料批判

 「学問はナショナリズムに屈服してはならない。」「日本国家のナショナリズムの欲望によって『歴史の真実』を曲げること、これは学問の賊である。」「学問は政治やイデオロギーの従僕であってはならない。『歴史の真実』を明らかにすることと、現代国家間の政治的利害を混同させてはならない。そのような『混同の扇動者』あれば、これに対してわたしたちは、ハッキリと『否(ノウ)』の言葉を告げねばならぬ。それがソクラテスたちの切り開いた、人間の学問の道なのであるから。」

 以上は古田先生の言葉です(『「君が代」、うずまく源流』新泉社・1991年)。昨今問題となっている皇室典範の改正について、「諮問会議」やら御用文化人、御用学者の跋扈ぶりは目に余るものがあると言ったら、はたして言い過ぎでしょうか。不遜を承知で言わしていただければ、こうした問題は世界の人々の面前で、広く学問的に歴史的に論議を尽くして合意形成をはかるべきテーマであるように思います。一内閣の意向や功名心でリードするべき問題とは思われません。
 そのような中で、皇位継承の根元的な問題の一つである「万世一系」について、古田先生が講演されることは、まことに時宜にかなったものです。古田史学の会では、来る2月18日(土)、大阪市の中央電気倶楽部において古田先生の講演会を開催します。演題は『「万世一系」の史料批判─九州年号の確定と古賀新理論(出雲)の展望─」。天皇家は本当に「男系」なのか等、歴史学的な考察と現代史的意義が語られると思います。多くの皆様のご来場をお願いいたします。ナショナリズムや政治・イデオロギーに屈服しない学問、古田史学の真骨頂が聞けます。


第51話 2005/12/04

『ダヴィンチ・コード』

 『ダヴィンチ・コード』。既に読まれた方も多いかと思いますが、近年世界的ベストセラーになった推理サスペンス小説です。わたしの勤務先には「社長室図書」というコーナーがあり、社長が読んだ本で社員にお奨めのものが自由貸出になっているのですが、そこに『ダヴィンチ・コード』があったので、最近読んでみました。うわさに違わず面白い。一気に読み終えたのです。通底するテーマとして古代キリスト教史が流れている本で、古田先生が研究されている「トマスの福音書」なんかも、ちらっと登場します。そして、読んでいるうちにキリスト教史の勉強にもなるという本でした。
 マグダラのマリアも扱われているので、さっそく木村賢司さんや西村秀己さんらにも紹介したのですが、西村さんからはメールで感想が寄せられ、面白いが真犯人がすぐにわかって、推理小説としてはいまいちという辛口のコメント。木村さんは水野代表にもこの本のことを教えられたようで、水野さんから電話で、古田先生にはもう紹介したのかとの質問。まだですというと、水野さんから紹介することになりました。その後、水野さんからメールが届き、古田先生は既に読んで持っているとのこと。先生の読書量とその幅の広さにはおどろきました。
 人間の好奇心は棺桶に入るまで留まるところを知らない、とは古田先生の言葉。先生ご自身にぴったりの言葉だなあと、あらためて思った今日でした。そして、今日から京都は本格的な寒さを迎えました。インフルエンザの予防接種も昨日済ませましたので、年末まで古代史の研究と仕事に頑張るぞ、と寒さに震えています

バチカン・ピエタ像の謎 木村賢司(古田史学会報61号)

マリアの史料批判 西村秀己(古田史学会報62号)


第46話 2005/11/11

「パリは燃えているか」
 京都は夕刻からずっと雨が降り続いています。雨の週末は原稿を書いたり、読書の時間に当てていますが、その時にはお気に入りのCDを聴きながらということが習慣となっています。以前はT-SQUAREのHISTORY(Welcome  to the Rose Garden収録、1995)をよく聴いていましたが、最近は加古隆さんの「パリは燃えているか」(NHKスペシャル「映像の世紀」テーマ曲)がお気に入りです。映像音楽の傑作といわれるこの曲は、皆さんも一度はお聴きになったことがあるのではないでしょうか。ちなみに、古田先生は中島みゆきの曲を聴きながら原稿を書いていたというお話を昔うかがったことがあります。わたしも中島みゆきは大好きです。
「パリは燃えているか」を聴いていると、フランスでの若者達の暴動が心配になります。パリ市には本会会員のOさん(モンマルトルの画家)もおられますので、なおさらです。
 ご存じの方も多いと思いますが、「パリは燃えているか」はヒットラーの言葉とされています。ノルマンディー上陸作戦以後、連合軍によるパリ解放が目前に迫ったとき、ヒットラーは部下の将軍にパリの徹底的破壊を命令します。しかし、その将軍は文明の遺産であるパリを破壊することを恐れ、命令に従わず連合軍に降伏します。そのとき、将軍への電話でヒットラーが叫んだ言葉が「パリは燃えているか」でした。
加古隆さんの名曲「パリは燃えているか」は人類の歴史と、その中で同じ過ちを繰り返す人間の悲しさが表現されています。わたしがこの曲を聴きながら歴史研究論文を書くというのも、何か深い縁があってのような気がします。
 今夜はまだ雨が降り続いています