「 言素論 」一覧

第1092話 2015/11/13

「とーとーたらり、とーたらり」

 奄美大島出身の歌手、城南海(きずき・みなみ)さん(25歳)のニューアルバム「尊々加那志〜トウトガナシ〜」を購入したのですが、奄美大島の方言で「尊々加那志〜トウトガナシ〜」とは「大切なあなた」「尊い人」という意味とのこと。そこで、謡曲「翁」などで歌われる意味不明のフレーズ「とーとーたらり、とーたらり」の「とーとー」とは「尊い」「大切な」という意味ではないかと思いつきました。
 正木裕さん(古田史学の会・事務局長)が謡曲に滅法詳しいので、先日、朝来市の赤淵神社訪問のおり、おたずねしました。やはり「とーとーたらり」は「翁」で謡われるものの、意味は諸説有るが不明とのことでした。
 インターネットで調べたところ、「とーとー」は「尊い」とする説があり、その発音からも現代語の「とおとい」と共通したものと思われました。「たらり」は「きらり」とひかるという説があり、「大切なもがきらきら光っている」という意味でしょうか。沖縄や奄美大島で「たらり」という方言があれば、それは有力説となりそうですが、ご存じの方があればご教示ください。
 いずれにしても、「とーとーたらり」で始まる「翁」などの謡曲の歌詞の淵源は南方系のようです。しかし、時代の流れの中で、意味不明となってしまった歴史的背景が問題となります。このテーマも古田先生が提起された言素論で解明できれば面白いのですが、引き続き検討したいと思います。


第1061話 2015/09/24

九州発か「○○丸」名字(3)

 「○○丸」名字の考察と調査を進めてきましたが、その中心地(淵源)が福岡県を筆頭とする九州地方であることは、まず間違いなさそうです。そうなると、やはり古代九州王朝との関係が気になるところです。そもそも「丸(まる)」とは何を意味するのでしょうか。古田先生が提唱された元素論でもちょっと説明できません。「ま」や「る」の元素論的定義(意味)から解明できればよいのですが、今のところよくわかりません。
 しかし、まったくヒントがないかと言えば、そうでもありません。たとえばお城の「本丸」や「二の丸」の「丸」や、日本の船の名前に多用される「丸」などと関係があるのではないかと睨んでいます。古代伝承でも朝倉の「木(こ)の丸殿」に天智天皇がいたとするものがあり、「天皇」の宮殿名にも「丸」が採用されていた痕跡かもしれません。
 こうしたことから推察すると、「丸」とは周囲とは隔絶された重要(神聖)な空間・領域を意味する用語と考えてもよいのではないでしょうか。そうすると「丸」の「ま」は地名接尾語の「ま」(一定領域)と同源のように思われます。
 ラグビーの五郎丸選手のおかげで、ここまで考察を進めることができましたが、まだ作業仮説(思いつき)の域を出ていませんので、これからも勉強したいと思います。


第1060話 2015/09/23

九州発か「○○丸」名字(2)

 名字や地名の由来をネット検索で調べてみますと、「○○丸」地名の説明として、「丸」とは新たな開墾地のことで、例えば田中さんが開墾すれば「田中丸」という地名が付けられ、その地に住んでいた人が「田中丸」を名字にしたとするものがありました。しかし、これはおかしな説明で、それでは新たな開墾地は九州や広島県に多く、その他の地方では開拓しなかったのかという疑問をうまく説明できません。さらに「五郎丸」の場合は「五郎」さんが開墾したことになり、これではどこ家の五郎さんかわかりません。やはり、この解説ではこれらの批判に耐えられず、学問的な仮説とは言い難いようです。ネットの匿名でのもっともらしい説明はあまり真に受けない方がよいと思います。
 それでは「五郎丸」の「五郎」は人名に基づいたものでしょうか。わたしはこのことにも疑問をいだいています。たとえば、わたしの名字の「古賀」は福岡県に圧倒的に濃密分布しているのですが、「名字由来net」で検索したところ「古賀丸」という名字は1件もヒットしないのです。「古賀」さんたちは新たに開墾しなかったのでしょうか。自らの名字に「丸」を付けるのがいやだったのでしょうか。ちなみに、「古賀」「○○古賀」という地名は福岡県内にけっこう存在します。
 このような疑問の連鎖が続くこともあり、「五郎丸」名字と関連した「○郎丸」名字を「名字由来net」で調べてみました。次の通りです。数値は概数のようですので、「傾向」としてご理解ください。

〔「○郎丸」名字 県別ランク人数〕(人)
名字  1位   2位   3位       全国計
太郎丸 福岡80    佐賀10  長崎10          130
次郎丸 福岡230  大分50  神奈川,東京30   440
一郎丸 福岡50                              50
二郎丸 福岡60   東京10                    70
三郎丸 広島50   福岡40  大分・長崎20    150
四郎丸 福岡70   広島50  東京30          180
五郎丸 福岡500  山口120  広島60         990
六郎丸 大分・広島10                        10
七郎丸 大分・福井10                        20
八郎丸 無し                                 0
九郎丸 熊本50   福岡30  埼玉・兵庫10     90
十郎丸 無し                                 0

 以上の結果から、やはり「○郎丸」名字は福岡県に多いことがわかり、中でも「五郎丸」さんが他と比べて断トツで多いことが注目されます。人名がその名字の由来であれば、長男や次男の「太郎丸」「次郎丸」の方が多いのが普通と思うのですが、五男の「五郎丸」が多いのでは辻褄があいません。やはり、これらの名字は単純な人名由来ではないと考えたほうがよいように思われますが、いかがでしょうか。
 余談ですが、「○郎丸」名字検索で、超有名な「○郎」さんとして、「金太郎丸」「桃太郎丸」を調べたところ0件でした。そんな名字の人がおられたら、テレビなどで取り上げられるはずですから、やはりおられないのでしょう。(つづく)


第1059話 2015/09/22

九州発か「○○丸」名字(1)

 ラグビーワールドカップでの南アフリカ戦での劇的な逆転勝利で一躍有名になった五郎丸選手ですが、キックの時の印象的なルーチンと呼ばれる動作とともに、その珍しいお名前に、わたしの好奇心がフツフツと沸いてきました。というのも、「五郎丸」のように名字が「○○丸」という人が何故か九州に多いと感じていたので、もしやと思い、五郎丸さんのご出身地を調べてみると、やはり福岡市ということでした。わたしの母校(久留米高専)の後輩にも小金丸さんがいましたし、知人には田中丸さん市丸さんもおり、いずれも福岡県や佐賀県の出身です。また、筑後地方には田主丸という地名もあり、この「丸」地名や「丸」名字は古代九州王朝に淵源するのではないかと考えていたのです。
 そこで、インターネットの「名字由来net」というサイトを利用して、「丸」名字の分布を調べてみました。五郎丸さんをはじめ、著名人や知人の「丸」名字の県別分布ランキングは次のようでした。数字は概数であることから、あくまでも大まかな傾向と理解した方がよさそうですが、やはり推定通りの結果となりました。次の通りです。なお、これは漢字表記の分類で、複数の訓みがある場合はその合計です。

〔著名人・知人の県別「丸」名字人数〕(人)
名字  1位   2位  3位    全国計
五郎丸 福岡500  山口120 広島60     990
小金丸 福岡1400 長崎170 東京130   2200
薬師丸 福岡10  神奈川10        20
田中丸 佐賀130  福岡90   神奈川30   380
薬丸  福岡190  鹿児島120 宮崎70    740
金丸  宮崎5200 東京2400 福岡2300 25600
市丸  佐賀1200 福岡820  東京290   3800
力丸  福岡1200 福島550  神奈川190 2800
井丸  広島50   福岡40   大阪30     240
田丸  千葉1700 神奈川1400 広島1400 11700

 以上のように、田丸さんを除けばほぼ九州、特に福岡県に「丸」名字が集中していることがわかります。九州以外では何故か広島にも多く、これが何を意味するのか興味深いところです。田丸さんだけは傾向が異なり、関東に多く分布していますが、ここでも2位に広島県が食い込んでいることが注目されます。なお、「丸」一字の名字もあり、1位が千葉2400、2位東京830、3位神奈川470で、全国合計5300でした。千葉県に「丸」さん「田丸」さんが多いことが注目されます(千葉県南房総市に「丸」という地名もあるようです)。(つづく)


第882話 2015/02/25

雲仙普賢岳と布津

 昨日は鹿児島空港からレンタカーで鹿児島県伊佐市・宮崎県小林市などの顧客を訪問し、昨晩は熊本県の天草のホテルで宿泊し、今日は早朝から仕事です。フェリーで鬼池港から島原半島の口之津(くちのつ)に入り、異形の雲仙普賢岳を眺めながら島原市に向かっています。あんな山が噴火したのなら、あの大災害が起きるのも「納得」できるほどの火山岩むき出しの山肌でした。(合掌)
 島原市を走っているとき、「布津」という地名の看板があり、とても興味深い地名だと思いました。海岸通りの地名なので、「津」は港のことと思われますから、この地名の語幹は「布(ふ)」となります。「ふ」という場所にある港だから「ふつ」と呼ばれ、布津という漢字が当てられたと考えられます。そこで、次に問題となるのが「布(ふ)」の意味です。
 布津の東側には雲仙普賢岳がそびえており、とても印象的な地域です。そこでひらめいたのですが、布津の「ふ」は富士山の「ふ」と同義ではないか。すなわち、活火山やその近傍地名である「ふ」という地名語幹には共通性があるのではないでしょうか。少なくとも偶然の一致とするよりも、火山と地名の「ふ」には関係があるのではないかという作業仮説を検証する必要を感じています。
 この作業仮説を検証するためには、日本列島の火山と近隣地名を調査し、語幹に「ふ」を持つ地名や山名があるのかどうかを調べるという方法が有効と思われます。その結果、関係があれば次の問題、「ふ」の意味は何か、という学問的局面に進めますし、関係が認められなければ、とりあえず作業仮説としてペンディングしておけばよいのです。この作業仮説(思いつき)を皆さんはどのように思われますか。


第828話 2014/11/29

地名接尾語「さ」と

    「言素論」

 地名接尾語としての「ま」や「の」について論じてきましたが、まだよくわからない地名接尾語に「さ」があります。宇佐・土佐・稻佐・三笠・須佐・伊佐・石原(いさ)・麻・厚狭(あさ)・安佐・小佐(おさ)・岩佐・笠・加佐・笠佐・ 吉舎(きさ)・笹・奈佐・波佐・布佐・三佐・武佐・与謝・若狭など末尾に「さ」が付く地名は多数あります。従って、共通した何らかの意味を持つと考えられ ます。
 言葉の先頭に付く「さ」は、小百合や小夜曲のように「小さな」という意味の「さ」が知られていますが、地名接尾語の場合はそれとは違うようです。このように、「さ」の音に複数の異なる意味があることになるのですから、「言素論」で言葉を分析するさいに、どちらの意味を取るのかで恣意性が発生することもあ り、こうしたケースは学問的に不安定なことがご理解いただけると思います。
 「さ」の意味を探る上で注目されるのが京都府福知山市の石原(いさ)という地名です。「原」という字に「さ」という発音はなさそうですから、音ではなく訓(字の意味)の一致から「さ」の音に当てたのではなないでしょうか。そうであれば、「さ」は「原」(フィールド)の意味を持っていたことになります。そうしますと、「ま」(一定領域の意味)と似た意味となり、「○○さ」とは「○○」のフィールドということになります。まだアイデア段階ですが、地名接尾語 「さ」の意味をこれからも考えていきます。


第827話 2014/11/23

「言素論」の可能性

 「言素論」は日本古代史研究に新たな可能性を秘めているのですが、古代中国の音韻研究にも寄与できる可能性もあります。たとえば音韻復元が未だ困難とされている『三国志』時代の音韻研究ですが、倭人伝の国名分析により解明できるケースがあります。たとえば、「奴国」などの「奴」の音韻が、通説の「な」や「ど」ではなく、「ぬ」あるいは「の」の可能性が最も高いということがわかっ てきました。
 『三国志』倭人伝に記された倭国内の国名に「奴」の字がよく使われています(奴国・彌奴国・姐国・蘇奴国・華奴蘇奴国・鬼奴国・烏奴国・狗奴国)。現在では「ぬ」「ど」とわたしたちは発音しますが、志賀島金印の「漢委奴国王」の場合は通説では「な」と訓まれています。倭人伝国名の末尾に「奴」が使用されていることが注目されますが、おそらく倭人の発音に基づき漢字を当てたものと思われますから、この「奴」が地名接尾語の可能性をまず考えるべきです。そうしますと、日本列島内の地名接尾語として多用されているのが、「ま」の他には「の」「さ」「な」などがあり、この中から「奴」の音の可能性があるのは 「の」と「な」です。しかし、地名としては「の」が圧倒的に多いことから、「の」の可能性が最も高いと思われます。
 たとえば思いつくだけでも、昨晩地震があった長野をはじめ、吉野・熊野・日野・信濃・星野・茅野・真野・高野・美濃・小野・遠野・角野・中野などいくらでもあります。したがって日本列島内に多数ある「○○の」という国名が倭人伝に無いと言うことは考えにくいので、「奴」を「の」と訓むのは合理的な選択肢となります。ただし、古代から現代までの音韻変化という問題がありますので、ここでは「の」あるいは「ぬ」に近い音という程度にとどめておくほうが学問的には安心です。中村通敏さん(古田史学の会・会員、福岡市)も著書『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』(海鳥社、2014年)で同様の考えを発表され ています。好著ですので、ご一読をお勧めします。
 「奴」の発音を「の」「ぬ」と考えた場合、次に問題となるのが、その意味です。地名接尾語として何らかの共通した意味があったはずですから、「言素論」 としてこの考察を避けて通れません。これまでは何となく「野原の野(の)」のことで、野原や広原の多い地名に接尾語の「の」が付けられたと考えていました。現に「○○野」という地名が数多くあります。もちろんこうした意味で「○○の」という地名が付けられたケースも少なくないと思われますが、倭人伝の 「奴国」や志賀島の金印の「委奴国」の場合、かなり大きな領域の国名と思われますから、古代においては「の」「ぬ」に単に「野原」ではなく何か特別な意味があったのではないかと考えています。残念ながら今のところ良いアイデアはありません。
 古田先生が提唱された「言素論」は発展途上の先駆的学問領域であるがゆえの限界や欠陥、想定できない問題の発生を避けられませんが、同時に大きな可能性も秘めています。古田学派内での活発な論議や仮説発表を通して発展させていきたいと思います。


第826話 2014/11/22

「言素論」の方法論

 「洛中洛外日記」824話などで、地名接尾語「ま」について紹介しましたが、 西村秀己さんから、「ま」が一定領域をあらわす言葉なら、なぜ「ま」が地名に付いたり付かなかったりするのか、地名そのものが一定領域を表しているのに、 なぜ更に一定領域を意味する「ま」が付く必要性があるのかという鋭いご質問をいただきました。そこで、今回はこの地名接尾語「ま」についてわたしの考えを説明し、「言素論」の方法論について触れることにします。
 まず、「ま」を地名接尾語とするための条件としては、末尾に「ま」を持つ多数の地名の存在が必要です。数が少なければ、偶然の一致かもしれないという批判をクリアできないからです。すでに何度も紹介しましたように、日本列島にはかなり多くの末尾に「ま」がつく地名があり、これを偶然とするよりも、何らかの必要性があり、地名の末尾に「ま」を付けた文明や集団が存在したと理解する方が合理的なのです。
 次に、「ま」が付いたり付かなかったりする理由ですが、幸いにも末尾に「ま」が付いたり付かなかったりする例が現在もあります。「床の間」「土間」「居間」「客間」「応接間」というように「ま」が付くケースと、「玄関」「便所」「台所」のように「ま」が付かない場所が家の中にあります。前者は「間」が付くことにより一定領域(空間)であることと、それがどのような目的の領域であるかがわかる仕組みになっています。後者は「間」の代わりに「所」という一定 領域(空間)であることを示す言葉が付加されています。あるいは漢語として目的と一定空間であることが明らかな「玄関」のような言葉には「ま」が不要であ り、付加されていません。
 おそらく、これと同様に末尾に「ま」を付加することにより、ある集団などの一定領域を意味するケースとしての地名接尾語「ま」が付けられたのではないで しょうか。すなわち古代日本列島において、特定集団の領域を表す言葉として「ま」があり、その集団名などの末尾に「ま」を付ける慣習があり、その結果、末尾に「ま」を持つ地名が多数成立したのではないでしょうか。
 実はこれと同様の地名領域表現として、中国風の「国(くに)」「県(あがた)」「里(さと)」名称などが導入され、後には「評」「郡」「郷」が国家権力の行政単位として採用されます。このように、より古い時代に一定領域をあらわす言葉として地名接尾語「ま」などが発生したと、わたしは考えています。
 以上、地名接尾語「ま」の成立を「言素論」の視点から考察したのですが、もちろん他に有力で合理的な説明や仮説があれば、比較検証し、どの仮説が最も妥当かを判断すればよいと思います。「言素論」を古代史研究に使用する場合は、少なくともこの程度の学問的手続きと用心深さは必要でしょう。(つづく)


第825話 2014/11/21

「言素論」の困難性

 今回は「言素論」の学問としての困難性について説明します。それは古代における発音・音韻が現在のわたしたちにはわからないことが多いことと、残されている史料の文字表記と古代の音韻とが正確に対応しているかどうか、これもわからないケースがあるという点です。
 このことを具体例(わたしの失敗)で説明しますと、たとえば「洛中洛外日記」820話で紹介した「○○じ(ぢ)」地名の音韻における、「じ」と「ぢ」の 違いです。姫路や淡路、庵治、但馬、味野は「ぢ」と思われますが、「吉備の児島」の場合は普通「こじま」であり、「じ」です。わたしはこの「児島」も「こじ(ぢ)+ま」とするアイデア(思いつき)として述べたのですが、この点、倉敷市の「味野」地名を教えていただいた安田さんからメールをいただき、「ぢ」 ではなく「じ」ではないかとのご指摘をいただきました。『古事記』の国生み神話に見える「吉備児嶋」は「嶋」ですから「こじま」と発音され、安田さんのご指摘はもっともなものでした。
 ただ、わたしには思い当たることがあり、あえて「吉備の児島」の「児島」を「こじ(ぢ)+ま」とするアイデアを述べました。それは『古事記』の国生み神 話の「大八島国」の次に登場する六つの「嶋」(吉備児嶋・小豆嶋・大嶋・女嶋・知訶嶋・両児嶋)のうち、「吉備児嶋」だけは「嶋」(アイランド)ではなく半島で、しかも「吉備」という地名表記つきで、他の五つの「嶋」とは表記方法が異なっています。そこで、この「児嶋」は「嶋」と表記されていますが、本来 は「こぢ+ま」という領域名であり、それを『古事記』編者は「こじま」として他の五つの「嶋」と同様に「児嶋」と表記したのではないかと考えたのです。
 しかし、わたしのこのアイデア(思いつき)に対して、西村秀己(古田史学の会・全国世話人、『古田史学会報』編集担当、会計。高松市)さんから「児島半島は昔は島で、戦国時代以降の干拓により半島になった」とのご指摘があり、わたしの思いつきは成立困難であることがわかりました。
 「じ」と「ぢ」に限らず、古代日本語の発音は現代の五十音よりも多く(たとえば万葉仮名の甲類・乙類など)、今のわたしたちの発音・音韻感覚によって十把一絡げに同音だから同じ意味とすることはかなり危険が伴うのです。ここに「言素論」を利用するさいの難しさの一つがあります。(つづく)


第824話 2014/11/20

「言素論」の応用例

 「言素論」の学問的性格や方法論について説明したいと思いますが、抽象論ではわかりにくいので、なるべく具体論をあげるようにします。今回は応用例として「松」地名分析での経験を紹介します。
 語尾に「松(まつ)」がつく地名は全国にたくさんあります。たとえば有名な都市では浜松(静岡県)・高松(香川県)・小松(石川県)などです。いずれも海岸付近にあることから、何となく海岸に松林が多い所なのだろうと思っていたのですが、古田先生の「言素論」を知ってからは、考えを改めました。「松(ま つ)」の「ま」は地名接尾語の「ま」、「つ」は港を意味する「津」のことと理解できたのです。従って、地名の語幹部分は「はま(浜)」「たか(高)」「こ (小)」となります。
 「ま」が末尾につく地名は、薩摩・播磨・須磨・有馬・球磨・三潴・朝妻・鞍馬・宇摩・但馬・生駒・門真・筑摩・詫間・群馬・多摩・浅間・中間・置賜・埼玉・大間など数多くあり、これらは偶然ではなく、地名の末尾に付くべき何らかの意味を持つ言葉であることは間違いないでしょう。現在でも、土間・床の間・ 応接間・居間・隙間などのように、一定の空間・領域を意味する言葉として「ま」が使用されています。従って地名接尾語の「ま」も同様に一定領域や空間を意味すると考えられます。さらに敷衍すれば、山(やま)・島(しま)・浜(はま)・沼(ぬま)などの基本的一般名詞末尾の「ま」も語原が共通している可能性 があります。
 「つ」は現在でも大津(滋賀県)のように、港を意味する言葉として使用されています。以上の理解から、地名の末尾につく「松(まつ)」は、「ある一定領域にある港」とする理解でその多くは説明可能です。その証拠に、浜松・高松・小松の他、末尾に「松」を持つ地名の多くは海岸・湖岸・川岸付近にあり、この理解が正当であることを裏付けています。
 以上のように、「松」地名を松林が多い所とする浅薄な理解から、「言素論」により本来の意味に肉薄する深い理解が可能となるのです。これは「言素論」の応用例でも比較的成功した事例です。(つづく)