第1733話 2018/08/27

杉本直治郞博士と村岡典嗣先生 (1)

 あまの原 ふりさけ見れば かすがなるみかさの山にいでし月かも(『古今和歌集』巻九)

 延喜五年(905)に成立した紀貫之の編纂になる『古今和歌集』に見える阿倍仲麻呂のこの歌は有名です。古田先生がこの「みかさの山」が奈良の御蓋山(みかさ山、標高約二八三m)ではなく、福岡県の三笠山(宝満山、標高八六九m)であるとされたことは古田ファンにはよく知られています。
 その研究に取り組んでいたとき、わたしは杉本直治郞氏の論稿「阿倍仲麻呂の歌についての問題点」(『文学』36-11、岩波書店。1968年)を見つけました。同論稿には、仲麻呂の歌の原型が「みかさの山に」ではなく、「みかさの山を」であると論証されており、このことは古田説が正しかったことを決定的にしました。すなわち、奈良の御蓋山では低すぎて、月はその後の春日山連峰から出るため、「みかさの山をいでし月」はありえず、福岡の三笠山なら太宰府から見れば月はそこから出るので、極めてリーズナブルな表現となるのです。
『古今和歌集』には貫之による自筆原本いわゆる「三証本」や、貫之の妹による自筆本の書写本(新院御本)があったとされていますが、残念ながらいずれも現存しません。しかし、二つの古写本の存在が知られています。一つは前田家尊経閣文庫所蔵の『古今和歌集』清輔本(保元二年、1157年の奥書を持つ)であり、もう一つは京都大学所蔵の藤原教長(のりなが)著『古今和歌集註』(治承元年、1177年成立)です。清輔本は通宗本(貫之自筆本を若狭守通宗が書写したもの)を底本とし、新院御本で校合したもので、「みかさの山に」と書いた「に」の横に「ヲ」と新院御本による校合を付記しています。また、教長本は「みかさの山を」と書かれており、これもまた新院御本により校合されています。これら両古写本は「みかさの山に」と記されている流布本(貞応二年、1223年)よりも成立が古く、貫之自筆本の原形を最も良く伝えていると杉本直治郞氏は先の論稿で紹介されています。
 こうした『古今和歌集』古写本の分析に基づき、流布本の「みかさの山に」よりも「みかさの山を」の方が原型であり、仲麻呂の望郷の気持ちをよく現していると杉本博士は解説されています。こうした仲麻呂の気持ちになってその歌を解釈し、古写本の史料事実を根拠とされた論稿を読んで、これはフィロロギーの方法論に立脚しているのではないかとの印象をわたしは抱いたのです。(つづく)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする