第2381話 2021/02/15

「蝦夷国」を考究する(1)

―多賀城碑「蝦夷國界」の論理―

 「洛中洛外日記」で〝多賀城碑「東海東山節度使」考〟シリーズを続けてきましたが、読者の皆さんから賛否両論と少なからぬご意見をいただくことができました。学問研究を進める上で、とても有り難いことです。
 同シリーズでは多賀城碑の里程記事の解釈について、古田説や田中説(注①)を紹介するため、古田先生の著作(注②)を改めて精読すると同時に、従来説についても勉強したのですが、古田説の決定的に重要な論点について深く認識することができました。というのも、古田説では「蝦夷国」(国家)として対象を認識されており、従来説(通説)は「蝦夷」という表記で対象を論じ、それを「国家」としては認識していないということが最も大きな差異であることがわかってきたからです。なぜか通説では、「蝦夷」を異民族の部族集合体と認識しているようなのです。この認識の違いが、歴史研究のスタンスの差でもあり、恐らくは大和朝廷一元史観がバックボーンにあるためではないでしょうか。
 古田説では、多賀城碑碑文に見える「蝦夷國界」を根拠に、多賀城が蝦夷「国内」にあったとされています。すなわち、「蝦夷」は「國」であり、「蝦夷國界」は日本国と蝦夷国との国境と理解したわけです。碑文にある他の「國界」(注③)がいずれも当時実在した「國」の「界」ですから、「蝦夷國」も実在したと理解するのが当然ではないでしょうか。ですから、これからの蝦夷研究では〝「蝦夷国」の実在〟という視点が不可欠と思われるのです。(つづく)

(注)
①田中巌「多賀城碑の里程等について」。古田武彦『真実の東北王朝』ミネルヴァ書房版(2012年)に収録。
②古田武彦『真実の東北王朝』駸々堂出版、1991年。後にミネルヴァ書房から復刊。
③多賀城碑の碑文には次の「國界」記事が見える。
【多賀城碑文の里程記事部分】
西
 多賀城
  去京一千五百里
  去蝦夷國界一百廿里
  去常陸國界四百十二里
  去下野國界二百七十四里
  去靺鞨國界三千里

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