第1170話 2016/04/19

鬼哭啾々、痛惜の春

 わたしの故郷、九州の大地に激震が走り、多くの被災者が呻吟している最中、わたしの心に追い打ちをかけるような事が起こりました。東京古田会の藤沢会長が急逝されたのです。昨年の古田先生ご逝去に続き、まさに鬼哭啾々、痛惜の春となってしまいました。
 わたしと藤沢さんの出会いは、昭和薬科大学諏訪校舎で一週間にわたり開催された古代史討論シンポジウム「邪馬台国」徹底論争(1991年8月)でした。当時、わたしは「市民の古代研究会」事務局長として、このシンポジウムの実行委員会に加わっていました。実行委員会は古田先生を支持する二団体(東京古田会・市民の古代研究会)が中心となって運営されており、実行委員長は「市民の古代研究会」会長だった藤田友治さん(故人)でした。
 ところが、シンポジウム議長団として進行を差配していた藤田さんと、外部からお招きしていた司会の方との間でトラブルが発生し、その責任をとって藤田さんが実行委員長を辞任されるという事態になりました。藤田会長から事後を託されたわたしは、東京古田会の藤沢会長に実行委員長を引き受けていただけないかと、二人きりの場でお願いしました。そして、その夜の実行委員会でわたしから事態の説明と藤沢さんを後任の実行委員長に推薦する提案を行い、承認されました。このように初日から舞台裏は大変だったのですが、藤沢さんがその後の実行委員会を見事に仕切きられ、シンポジウムは大成功したのです。
 当時、わたしは35歳の若輩者でしたが、それ以来、藤沢さんからは何かと眼をかけていただいたように思います。諏訪校舎の一室で善後策を藤沢さんと話し合ったあの日からもう25年も経ったことを、藤沢さんの訃報に接して思い出しました。
 安らかにお眠りください。遺されたわたしたちが、あなたのお志を引き継いでまいります。合掌。

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