第1811話 2018/12/30

「邪馬壹国の領域」正木説の紹介

 「洛中洛外日記」1804話「不彌国の所在地(2)」で、「山門」という地名を根拠に邪馬壹国の領域に筑後が含まれるのではないかとしたのですが、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)が久留米大学での講演で既にこの見解を発表されていたことを、正木さんからのご連絡で知りました。優れた説ですので、「洛中洛外日記」でも紹介します。
 正木説によれば、「上山門」「山門」「山国」「山国川」などの地名と倭人伝に七万戸とされた「人口」などを根拠に邪馬壹国を「筑前・筑後の大部分と豊前といった北部九州の主要地域をほとんど含んだ大国」とされました。その試算によれば、「三千餘家」とされた一大国(壱岐)の面積138平方kmと邪馬壹国の「七万戸」を比例させると3220平方kmとなり、それが先の領域に対応するとされました。
 この正木説は、北部九州の神籠石山城に囲まれた領域が邪馬壹国の範囲とされた古田先生の見解とほぼ一致しています。古田先生の見解を聞いたとき、6〜7世紀頃に築造されたと考えられる神籠石山城の位置を3世紀の邪馬壹国の領域の根拠とすることに納得できませんでした。ところが今回の正木説により、古田先生の見解が有力であったことに気づきました。

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