第2150話 2020/05/11

倭人伝「南至邪馬壹国女王之所都」の異論異説(1)

 わたしのFACEBOOKの〝ともだち〟のSさんから、『三国志』倭人伝の訓みについてコメントが寄せられました。それは邪馬壹国という国名が記された次の記事についてです。

 「南至邪馬壹国女王之所都水行十日陸行一月」

 古田説では「南、邪馬壹国に至る。女王の都(みやこ)するところ。水行十日陸行一月。」と訓み、通説でも「南、邪馬臺(台)国に至る。女王の都(みやこ)するところ。水行十日陸行一月。」と、国名を原文改定(邪馬壹国→邪馬臺国)するものの、共に「女王の都(みやこ)するところ」と訓まれてきました。この訓みに対して、「都(みやこ)する」と訓むのは異様ではないかとSさんは指摘され、「都(す)べるところ」と訓む仮説を提起されたのです。
 「都」という字には、「合計する」や「統率する・統括する」という意味もあり、その場合は「都(す)べる」と訓むケースがあります(通常、「統べる」の字が使われます)。しかし、「女王の都(す)べる所」と訓んでも、「女王の都(みやこ)する所」と訓んでも意味的に大差は無いようにも思います。いずれの訓み(理解)でも、女王が邪馬壹国に君臨し、そこで「統率・統括する」とするのですから、そこを「都(みやこ)とする」と実態は同じです。
 実はこの記事の「都」をどのように理解すべきかについて、昔、古田先生に私見を述べたことがあります。それは「南至邪馬壹国。女王之所。都水行十日陸行一月」と区切り、「南、至る邪馬壹国。女王之所。(そこへの行程は)都(す)べて水行十日陸行一月」と訓み、「都」を〝合計して〟の意味に理解するというものです。
 この訓み(理解)に対して、古田先生も一定の理解を示され、通説の「都(みやこ)する」とわたしの仮説「都(す)べて水行十日陸行一月」がよいのか、二人で検討しました。しかし、結論は出ませんでした。そのため、とりあえず通説の訓み「都(みやこ)する」でよいと判断し、今日に至っています。すなわち、「都(す)べて水行十日陸行一月」が通説よりも妥当と他者を納得させられるだけの根拠(『三国志』中での同様の用例)や証明(自説に賛成しない他者を納得させることができる、根拠を明示した明解な説明)が提示できないため、通説に従うことにしたのでした。(つづく)

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