第731話 2014/06/19

「月」の酒と歌

 昨日から山形市で宿泊しています。今日は仕事がはやく終わりましたので、山形駅の近くのお店(花膳)で夕食をとり、地酒をいただきました。わたし は「月」が好きなので、名前に「月」の字を持つ銘酒「月山の雪」(寒河江市、月山酒造)と「雅山流 極月」(米沢市、新藤酒造店)を注文しました。中でも 「雅山流 極月」は絶品でした。今までわたしが飲んだ日本酒の五指に入る美味しさでした。ちなみに、一番おいしかった日本酒は月桂冠の幻の銘酒「春光 (しゅんこう)」です。酒屋さんでも手に入らないほどの銘酒です。
 「月」が好きなわたしですが、お気に入りの漢詩や和歌もやはり「月」がテーマの次のものです。

  静夜思  李白
 牀前(しょうぜん) 月光を看る
 疑うらくは 是れ地上の霜かと
 頭を挙げて 山月を望み
 頭を低(た)れて 故郷を思う

 この李白の詩は「望郷の詩」の最高傑作とも言われています。次の和歌は李白の友人の阿倍仲麻呂(698~770)の、これもまた有名な和歌です(『古今和歌集』巻九)。

 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山をいでし月かも

 日本を出て唐に向かうときに詠んだ歌とされていますが(諸説あり)、皆さんもご存じと思いますが、ちょっと違うところがあることにお気づきでしょうか。『古今和歌集』に収録されたこの名歌は、通常、次のように詠われています。

 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山にいでし月かも

 普通(流布本)は「三笠の山にいでし月かも」とされていますが、『古今和歌集』の古い写本では「三笠の山をいでし月かも」となっています。『古今 和歌集』には、この歌を「に」とする流布本と、「を」とする古写本の二種類の写本があるのです。どちらも同じようなものと思われるかもしれませんが、これ が大違いなのです。
 一元史観の通説では、この「春日なる三笠の山」を奈良県の御蓋山(山焼きで有名な「若草山」ではなく、近くにある別のもっと低い「御蓋山・みかさやま」 のこと。283m)から出た月を思って詠まれたと説明されていますが、御蓋山では低すぎて、すぐ後ろの春日山連峰や高円山(500~700m級)から月は 出ます。昔、古田先生たちと平城宮跡に行って、月が本当に御蓋山から出るのか観測したこともありましたが、御蓋山では低すぎて、そこからは絶対に月は出な いのです。それを実証するために、平城宮跡での「観月会」となったわけです。詳細は『古田史学会報』98号の拙論「『三笠山』新考  和歌に見える九州王朝の残映」をご参照ください。
 そして結論として、「春日なる三笠の山」とは福岡県の三笠山(宝満山、869m)のことであり、仲麻呂は太宰府でその月を見たことがあり、その「観測事 実」に基づいて詠まれたのがこの歌だと、古田先生やわたしたちは考えたのです。なお太宰府からだと、月は三笠山(宝満山)から出ます。
 すなわち、仲麻呂は九州王朝の故地太宰府でこの歌を詠み、三笠の山から出た月と表現したのですが、近畿天皇家の時代になると、奈良の御蓋山では低すぎ て、「三笠の山をいでし月かも」では不自然すぎるため、「三笠の山にいでし月かも」と原文改訂(改竄)し、後方の春日山連峰から出た、低い三笠の山のずっ とずっと上にある月を詠んだとも理解できるように「三笠の山にいでし月かも」として流布されたのです。
 どちらが本来の仲麻呂の歌でしょうか。学問的判断としては、より古い写本を重視することと、更に原文改訂されるとすれば、「を」から「に」であり、その 逆は近畿では発生し得ない(古写本は近畿で成立)という論理性の二点から、「三笠の山をいでし月かも」が原型であると解すべきなのです。
 このように阿倍仲麻呂の有名な和歌も、多元史観による理解が有効であることをご理解いただけるものと思います。仲麻呂問題は他にも面白い研究テーマがありますが、それはまた後日ご紹介いたします。

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