第1850話 2019/03/06

小笹 豊さん「九州見聞考」の警鐘(2)

 「多元的古代研究会」機関紙『多元』No.115(2013年5月)に掲載された小笹豊さん(横浜市)の論稿「九州見聞考」は次のような書き出しで始まります。

 〝二〇〇九年に社会人生活を一応卒業した私は、翌二〇一〇年、九州・福岡の西南学院大学・国際文化学科に学士入学し、考古学を専門とする高倉洋彰教授(九州大学出身、文学博士、高倉は旧姓で戸籍上の姓は石田さん)のゼミに所属した。〟

 ちょうど「洛中洛外日記」1841話で高倉さん(西南学院大学名誉教授)の論文「観世音寺伽藍朱鳥元年完成説の提唱 ―元明天皇詔の検討―」について論じていたこともあり、この小笹稿の書き出しに誘われて全文を読み直すことになったのです。小笹稿では高倉さんについて次のように紹介されています。

 〝高倉教授自身の弁によれば、九州大学を出たあと、当初は福岡県に勤務する考古学者であったご本人は、縁あって観世音寺に婿養子として入り、ときを経て住職になった。
 高倉氏の九大時代の恩師が観世音寺の発掘調査を担当した鏡山猛氏なので、この際のキューピットは鏡山氏だったのではないか、つまり鏡山氏は高倉氏にとって単なる学問上の恩師ではなく、観世音寺との縁を取り持ち、高倉氏の人生に大きな転機をもたらした恩人なのではないかと、私は勝手に推察している。〟

 この記事により高倉氏が観世音寺のご住職であり、鏡山猛氏のお弟子さんだったことをわたしは知りました。鏡山氏といえば太宰府条坊復元案を提起された九州考古学界の重鎮です。わたしも、当初、鏡山説に基づいた太宰府条坊研究や仮説を提起していましたので、鏡山氏は多くの影響を受けた先学のお一人です。(つづく)

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