第2057話 2019/12/25

『太平記』古写本の「壬申の乱」異説

 12月の関西例会では、不思議な伝承(史料)が西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)から紹介されました。それは、『太平記』に「二萬(にま)の郷(さと)」について説明する件(くだり)があり、その地で天智天皇と大友皇子が争ったと同古写本には記されており、新しい写本では天武天皇と大友皇子との争いに書き直されているというのです。
 西村さんのこの報告を聞いて、わたしはフィロロギーのテーマとして関心をいだきました。それは、どのような歴史事実があればこのような伝承(史料事実)が発生するのだろうか、あるいはこうした伝承(史料事実)への変化が起こりうるのだろうかという問題です。
 この「二萬の郷」の地名説話については、「備中国風土記逸文」の記事が著名です。同風土記逸文には、天智天皇が白村江戦に参戦するために「邇摩郷」に来て兵士を二万人集めたが、斉明天皇が筑紫で崩御されたため、引き返したという説話が記されています。その説話に登場するのは天智天皇であり、その地で戦闘があったとも記されていません。ところが、『太平記』古写本では天智天皇と大友皇子の戦争譚となっており、新写本では天武天皇と大友皇子の争い(壬申の乱)説話に変化しているわけです。
 古写本の「天智」が新写本で「天武」に〝改変〟されている理由はよくわかります。『日本書紀』などの「壬申の乱」を知っている書写者(インテリ)であれば、古写本の「天智」を誤記・誤写と思い、「天武」に書き換えることが起こりうるからです。実際、年代記などの諸史料に「天智」と「天武」の誤記・誤写と思われる状況が散見されますから、「これは間違いであろう」とその読者が判断し、書き改めることは普通に起こりうることと思われます。『太平記』の場合も同様の現象が発生したと考えてもよいでしょう。
 しかし、古写本にあるような、「天智」と「大友皇子」がこの地で戦ったなどという伝承がなぜ発生したのでしょうか。風土記逸文には「天智」が登場していますから、『太平記』に「天智」が登場することは理解できますが、その子供の「大友皇子」も登場し、こともあろうに両者が戦うなどという伝承は、どのような歴史事実の反映なのでしょうか。とても不思議です。
 このように西村さんが〝発見〟された『太平記』の異説「壬申の乱」は、フィロロギーという学問領域での格好の研究テーマ(頭の体操)と言えそうです。

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