第2503話 2021/06/26

年輪年代測定値の「100年誤り」説 (3)

 年輪年代測定値が、AD640年以前では100年古く誤っているという鷲崎弘朋さんの指摘に対して、年輪年代測定により594年とされた法隆寺の五重塔心柱伐採年については妥当な年代ではないかと思うのですが、もう一つ、妥当と思われる年輪年代測定値があります。前期難波宮址水利施設から出土した木製の水溜枠です。
 『難波宮址の研究 第十一』(注①)によれば、井戸がなかった前期難波宮の水利施設(石組)が出土し、その周辺から多くの木材も出土しました。中でも大型の水溜枠の木材には樹皮が残っており、年輪年代測定により伐採年が634年とされました。『日本書紀』によれば、前期難波宮の完成年が孝徳天皇白雉三年(652年、九州年号の白雉元年)とされ、その18年前に伐採されたことになります。同水利施設からは須恵器坏Hや坏Gが多数出土しており、7世紀中頃の遺構であるとされ、出土木材の伐採年とも整合しています。ちなみに、同遺構からは7世紀後半の須恵器坏Bは出土していませんので、前期難波宮から出土した「戊申年」(648年)木簡などと共に、前期難波宮孝徳期造営説はほとんどの考古学者から支持されて定説となりました。更に前期難波宮を囲んでいだ塀の木柱が出土し、その最外層の年輪セルロース酸素同位体年代測定値も612年、583年であり(注②)、孝徳期造営説を支持するものとされました。
 この木枠の年輪年代測定は奈良文化財研究所の光谷拓実さんによるもので、次のように解説されています。

 「(前略)№1の木枠の形状は、原材から板状に割り、若干一部分を成形しただけのもので、転用材ではない。したがって、634年と確定した年輪年代は原木の伐採年である。」『難波宮址の研究 第十一』208頁。

 そして、「年代を割り出すヒノキの暦年標準パターンには、37B.C.~845A.D.のものを使用した」と説明されています。この「ヒノキの暦年標準パターン」は、鷲崎さんが

 〝飛鳥奈良時代の建造物でAD640年以前を示す事例(法隆寺五重塔等)は、記録と全て100年以上乖離があり100年修正すると整合する。
 光谷実拓氏のヒノキ新旧標準パターンのうち旧パターンは飛鳥時代で接続を100年誤り、弥生古墳時代の100年遡上は全てこの誤った「旧標準パターン」に起因する。なお、新標準パターンは正しいが、古代の測定事例はまだほとんど無い。〟(注③)

 と批判されたもので、この年輪年代の新旧標準パターンを鷲崎さんは次のように説明されています。

○旧標準パターン:1990年作成(BC317~AD1984) 全国各地のパターンの寄せ集め。
○新標準パターン:2005~2007年作成(BC705~AD2000) 木曽系ヒノキだけで2700年間をカバー。

 法隆寺五重塔心柱と同様に、前期難波宮水利施設の木枠にも旧標準パターンが採用されており(注④)、前期難波宮出土木枠の年輪年代測定値(634年)が、伴出した7世紀中頃の土器編年からも妥当と考えざるを得ないことから、法隆寺五重塔心柱の年輪年代測定値(594年)も妥当とせざるを得ません。少なくとも、前期難波宮出土木枠の年輪年代測定値を100年新しくすると後期難波宮の時代となり、それは極めて困難です(出土層位も出土遺物も全く異なり、まず不可能)。
 以上のように、鷲崎さんが100年古く間違っているとした遺物の中でも、法隆寺五重塔心柱と前期難波宮水利施設木枠の年輪年代測定値は妥当なものと、わたしには見えます。
 しかしながら、新旧標準パターンや測定木材の原データを公開すべきという、鷲崎さんの主張(注⑤)は正当なものです。国民の税金で運営・測定した奈良文化財研究所のデータは全国民の共有財産です。そうした国民からの(個人情報でもなく、人権や国益も損なわない)学術データの開示要請に応えない姿勢は、どのような事情があるのかはわかりませんが、学問的態度とは言い難いとする批判を避けることはできないでしょう。また、自説の根拠となる基礎データを掲載しないというのは、自然科学の研究論文ではおよそ考えられないことです。

(注)
①『難波宮址の研究 第十一 ―前期難波宮内裏西方官衙地域の調査―』大阪市文化財協会、2000年。
②古賀達也「洛中洛外日記」667話(2014/02/27)〝前期難波宮木柱の酸素同位体比測定〟
 古賀達也「洛中洛外日記」672話(2014/03/05)〝酸素同位体比測定法の検討〟
③鷲崎弘朋「年輪年代法による『弥生古墳時代の100年遡上論』は誤り」考古学を科学する会、第80回2019年5月24日、https://koukogaku-kagaku.jimdofree.com/%E6%A6%82%E8%A6%81%EF%BC%98/80/。
④光谷拓実「法隆寺五重塔心柱の年輪年代」『奈良文化財研究所紀要』2001年。同報告には「前37~838年」のヒノキの暦年標準パターンを使用した旨、記されている。
⑤鷲崎氏らによる奈良文化財研究所への情報開示請求書と同不開示決定通知書が次のサイト「邪馬台国の位置と日本国家の起源」に掲載されている。http://washiyamataikoku.my.coocan.jp/

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