第2326話 2020/12/18

九州王朝の家臣「千手氏」調査

 「洛中洛外日記」2325話(2020/12/17)〝「鬼滅の刃」と『竈門山舊記』〟で紹介した九州王朝の家臣と思われる「千手氏(せんず氏)」の調査を進めています。『竈門山舊記』に見える次の記事から、わたしの調査は始まりました。

 「天皇御廟嘉麻郡千種寺ニ有ト云。又ハ内智(うち)山トモ云。異説甚(はなはだ)多シ。」『竈門山舊記』(五来重編『修験道史料集』Ⅱ)

 ここで「天智天皇」とされているのは九州王朝の最後の天子、筑紫君薩野馬のことと思われます。ウィキペディア「千手村(福岡県)」を調べたところ、次ぎのように説明されていました。

 「『千手』の名の起こりは村内にあった千手寺に依る。千手寺は天智天皇に付き従って九州に下った千手氏の菩提寺であり、九州征伐まで代々千手氏が当地を治めていた。」ウィキペディア「千手村(福岡県)」

 廟嘉麻郡千種寺とは嘉穂市にある千手寺のことで、旧嘉麻郡に属していました。千手寺は〝天智天皇に付き従って九州に下った千手氏の菩提寺〟とされています。この伝承が正しければ、「千手氏」は九州王朝の薩野馬に仕えた家臣となります。そこで、この記事の出典調査に進みました。
 『筑前国続風土記』(注①)に次の記事があります。以前から注目していた記事です。

 「千手
 村中に千手寺あり。これに依て村の名とす。本尊千手観音也。此寺山間にありて閑寂なる境地也。其側に石塔有。里民は天智天皇の陵なり。天智天皇の御子に嘉麻郡を賜りし事あり。其人天皇の崩し玉ふ後に、是を立給ふといふ。然れども梵字なと猶(なお)さたかに見ゆ。さのみ久しき物には非ず。いかなる人の墓所にや。いふかし。(後略)」貝原益軒『筑前国続風土記』巻之十二 嘉麻郡(昭和60年版)

 千手村に「天智天皇」伝承やその「御陵」の伝承があったことがわかります。しかし、千手村の名前が千手寺に由来しているということであれば、千住氏が「千手」を名乗ったのは、同地に土着してからと思われますので、「天智天皇」に仕えていたときの名前は別にあったはずです。そこで、千住氏の元の名前について調査することにしました。
 なお、webで「千手」姓の分布を調べたところ、福岡県と宮崎県に二大分布圏があり、近畿や他地域に濃密分布は見られません(注②)。このことは、「千手」姓が嘉麻郡千手村に由来したものであることを示しています。宮崎県の濃密分布は、戦国時代に千住氏の主家、秋月氏の領地替えに伴って、嘉麻郡から日向に移動したためとされています。(つづく)

(注)
①貝原益軒『筑前国続風土記』寶永六年(1709)成立。
②webサイト「日本姓氏語源辞典」によれば、「千手」姓の分布状況は次の通り。
〔県別分布〕
1.福岡県 約200人
2.宮崎県 約 60人
3.大阪府 約 30人
4.長崎県 約 20人
4.千葉県 約 20人
総数   約500人

〔市町村別分布〕
1.宮崎県児湯郡高鍋町   約30人
2.福岡県北九州市八幡西区 約30人
2.福岡県北九州市小倉南区 約30人
2.福岡県田川郡福智町   約30人
5.福岡県田川市      約30人

フォローする