第799話 2014/10/05

『孔子家語』の一倍年暦

 古代中国における二倍年暦について、主に周代の史料に基づいて論証してきましたが、それは「解釈」の問題であり、一倍年暦による「解釈」でも理解可能とのご批判が服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集責任者)から寄せられ、関西例会でも論争を続けています。
 そこで、反対論者をも納得させうる論証方法や史料がないものかと考えてきたのですが、今回注目したのは孔子の生きた年代と孔子の子孫の「系譜」の整合性でした。孔子の12世の子孫(11世説もある)である孔安国による『孔子家語』(現行本は魏の王粛の注本によるとされています)末尾には孔子の子孫の没年齢について次のように記されています。

 「孔安国、字は子国、孔子十二世の孫なり。孔子は伯魚を生む。魚は、子思を生む。(略)年六十二にして卒す。子思は子上を生む。名は白。年四十七にして卒す。(略)子上は子家を生む。名は倣。後の名は永。年四十五にして卒す。子家は子直を生む。(略)年四十六にして卒す。子直は子高を生む。(略)年五十七にして卒す。
 子高は武を生む。字は子順。(略)年五十七にして卒す。(略)
 子産、年五十三にして卒す。(略)子襄(略)年五十七にして卒す。季中を生む。名は員。年五十七にして卒す。武及び子国(孔安国)を生む。」(明治書院。新釈漢文大系『孔子家語』612~614頁)

 ここに記された没年齢は古代人としてリーズナブルなものですから、一倍年暦によることがわかります。この部分は孔安国による「後序」となっている のですが、王粛(195~256)によると考えられています。そうであれば一倍年暦の時代ですから、その認識により没年齢が記されているはずです。これら 没年齢から判断しても、孔子の子孫の一世代は20年程度(20歳の時に次代が誕生する)と思われますから、孔安国の年代から約240年前(20年×12 代)が孔子の誕生年に相当することになるはずです。
 孔安国は漢の武帝の「元封(紀元前110~105年)の時、吾、京師に仕ふ。」(611頁)とありますから、先の240年を引くと紀元前350年頃に孔子が誕生した計算となります。しかし、通説では孔子の生没年は紀元前552年~479年とされており(生年を前551年とする説もあります)、大きく食い 違います。もし通説通り552年の生まれであれば、孔安国の世代までの一世代平均は約37年となり、これは寿命が延び晩婚化が進んだ現代でも、12代の平 均値とするには考えにくい年齢です。
 逆に孔子の生没年が二倍年暦で計算(逆算)されていた場合、より古く編年されることになりますから、先の240年を2倍の480年とすれば、孔子の生年は紀元前590年頃となり、通説の紀元前552年に近くなります。このことから、通説による孔子の生没年は二倍年暦で編年(逆算)された結果である可能性が高く、言い換えれば孔子の時代、少なくとも周代は二倍年暦が使用(編年)されていたとする私の仮説と整合するのです。
 通説ではこの系譜と年代の齟齬をどのように理解しているのか、これから調べたいと思います。

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