第2360話 2021/01/27

『小学』の学齢

 拙稿「古今東西の修学開始年齢」(注①)において、『論語』に見える「十有五にして学に志す」という孔子の述懐について、一倍年齢の十五歳では学を志すには遅すぎるので二倍年齢と考えた方が妥当であると、古典(『風姿華傳』『礼記』『国家』)に記された学齢と比較しながら論じました。先日、購入した『小学』(注②)にも学齢について詳述されていましたので紹介します。
 『小学』は南宋の朱熹が1187年に著したとされる儒教の教典ですが(注③)、周代史料の引用と解説が多く見られるので、12世紀の高名な儒者が周代史料、特にその年齢記事をどのように理解したのかを調べるために読んでみることにしました。また、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)が朱熹の『周易本義』の次の記事を二倍年暦実在の証拠とされたこともあり(注④)、南宋の大儒朱熹の認識に関心が高まってもいました。

 「閏とは、月の餘日を積んで月を成す者なり。五歳の間、再び日を積んで再び月を成す。故に五歳の中、凡そ再閏有り、然して後に別に積分を起こす。」朱熹『周易本義』

 今回読んだ『小学』にはいくつかの学齢に関する記事があります。それは次のようなものです。当該部分を抜粋します。

○「六年にして之(これ)に數と方(東西南北)との名を教ふ。」『新釈漢文大系 小学』「立教第一」18頁
○「七年にして男女席を同じくせず、食を共にせず。」同上
○「八年にして門戸を出入し、及び席に卽(つ)きて飲食するに、必ず長者に後(おく)れしむ。始めて之に譲を教ふ。」同上
○「九年にして之に日を數ふるを教ふ。」同上
○「十年にして出(い)でて外傅(がいふ)に就き、外に居宿し、書計を学ぶ。」同19頁
○十有三年にして楽を学び詩を誦(しょう)し勺(しゃく)を舞ふ。成童にして象を舞ひ射御を学ぶ。」同上
○二十にして冠し、始めて禮を学ぶ。」同上

 ここでの学齢は時代的にも内容的にも当然一倍年暦によるものです。六歳から数と方角の名を教えるのですから、現在の小学校入学年齢とほぼ同様です。そうすると、二倍年暦という概念を知らなかったであろう朱熹は、『論語』の「十有五にして学に志す」という孔子の言葉をどのように受け止めたのでしょうか。このことについての言及は『小学』には見当たりません。

(注)
①『東京古田会ニュース』に投稿中。内容は次の「洛中洛外日記」記事を加筆編集したものである。
2269話(2020/10/23)『論語』と『風姿花伝』の学齢(1)
2270話(2020/10/24)『論語』と『風姿花伝』の学齢(2)
2271話(2020/10/24)『論語』と『礼記』の学齢
2272話(2020/10/25)プラトン『国家』の学齢
2273話(2020/10/25)古代ギリシア哲学者の超・長寿列伝
②宇野精一著『新釈漢文大系 小学』明治書院、昭和40年(1965)。
③宇野精一氏による同書解題によれば、朱熹の友人の劉清之の原稿に朱熹が手を加えて撰定したしたものとある。
④西村秀己「五歳再閏」(『古田史学会報』一五一号 二〇一九年四月)。

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