第1424話 2017/06/16

『令集解』「戸令」の「常色」

 九州年号「常色」(647〜651年)は「白雉」の直前の年号で、わたしが九州王朝の副都と考える前期難波宮(難波宮・味経宮)造営時期、九州王朝による「天下立評」(評制施行)の時代です。正木裕さん(古田史学の会・事務局長)は「常色の宗教改革」(『古田史学会報』85号、2008年4月)の時代と表現されており、九州王朝にとっても画期をなした時代と言えるかもしれません。
 わたしは九州年号研究の当初、この「常色」を「じょうしょく」と訓んでいました。ところが、九州年号をテーマとした大阪でのわたしの講演の質疑応答において、「古田史学の会」会員の加藤健さん(交野市)から、「常色」は九州王朝の年号だから呉音の「じょうしき」と訓むべきではないかとのご指摘をいただきました。なるほどもっともなご意見と思い、それ以後は「じょうしき」と訓むよう心がけました。ちなみに、正木さんは当初から「じょうしき」と訓まれています。
 この九州年号の「常色」とは直接の関係はありませんが、最近読み始めた『令集解』「戸令」の注釈にこの「常色」という用語があることが目に留まりました。次のような記事です。

 「謂。小子入中男。中男入丁。丁入老。老入耆之間。是為一定以後。若改其常色者。更須依親皃之法。故云一定以後。不須更皃也。(後略)」『令集解』(国史大系)「戸令」286頁
 ※「皃」の字は、国史大系『令集解』の活字では「只」の「口」部分が「白」。

 戸籍登録における年齢判断に関する規定のようですが、今のところそれ以上のことは判断できませんので、引き続き勉強します。
 ここに見える「常色」と九州年号「常色」と関係があるとは思えませんが、九州王朝が年号として「常色」の表記を選んだ理由などを考察する材料になるかもしれませんので、ご紹介することにしました。皆さんのご意見、ご批判をお待ちしています。

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