第1707話 2018/07/17

大化改元の真実と改元の論理

 「九州年号偽作説の誤謬 所功『日本年号史大事典』『年号の歴史』批判」(『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』)において、わたしは所功さんが編集された『日本年号史大事典』(雄山閣)の「大化建元」とする次の記事を批判しました。

 「日本の年号(元号)は、周知のごとく「大化」建元(六四五)にはじまり、「大宝」改元(七〇一)から昭和の今日まで千三百年以上にわたり連綿と続いている。」(第三章、五四頁)

 このように大和朝廷最初の年号制定を意味する「建元」が「大化」年号とされ、『続日本紀』に「建元」と記されている「大宝」を「改元」と記されていました。しかし、『日本書紀』に見える「大化」年号制定記事は次の二ヶ所で、いずれも「建元」ではなく、「改めて」「改元」と表記されています。すなわち「大化」は「改元」とされているのです。

 「天豊財重日足姫天皇(皇極天皇)の四年を改めて大化元年とする」(孝徳天皇即位前紀)
 「皇后(皇極天皇)、天皇位に即(つ)く。改元する。四年六月に天萬豊日天皇(孝徳天皇)に讓位し、天豊財重日足姫天皇曰皇祖母尊と稱す。」(斉明天皇即位前期)

 「建元」とは、ある王朝が初めて年号を建てることを意味し、その後に年号を改めることを「改元」といいます。すなわち、近畿天皇家は自らの史書で「大化」は改元であり、近畿天皇家にとっての最初の年号は「大宝」(建元)と主張しているのです。
 所さんは旧著『日本年号史大事典』では“「大化」建元”とされていたのですが、新著『元号 年号から読み解く日本史』では、どうしたことか「大化」について「建元」という表現を用心深く避けておられます。例えば次のような表現に変更されているのです。

 「改新の先駆け『大化』創建」(55頁)
 「日本で初めての公年号『大化』が創建された意味は、きわめて大きい。」(56頁)
 「この『大化』が、日本で最初の公年号だとみなされている。」(57頁)
 「『大化』という公年号を初めて定めたのである。」(58頁)
 「前述の『大化』は代始(天皇の代替わり初め)による改元の初例」(60頁)

 このように「大化」に対して「建元」という表記に代えて、「創建」「最初の公年号」「改元の初例」という表現を使用されています。恐らく、新著で「大宝」を正しく「建元」とされたため、旧著のように「大化」に対して「建元」を使用することの矛盾に気づかれたものと思われます。しかし、ある王朝が「最初公年号」を「創建」することを「建元」というのであり、新著での表記変更によっても、『日本書紀』の「大化改元」記事と『続日本紀』の「大宝建元」記事が近畿天皇家一元史観では説明できないことがますます露呈したと言わざるを得ません。(つづく)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする