第1716話 2018/07/29

大行事八幡社(豊後大野市)の「大化」

 同時代九州年号史料について「洛中洛外日記」810話(2014/10/25)「同時代『九州年号』史料の行方」という一文を書き、『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』(古田史学の会編、明石書店。2017年)に転載しました。その中で紹介したのが次の三つの九州年号史料で、いずれも江戸時代の地誌に記されていたものです。

(1)「白鳳壬申」骨蔵器。『筑前国続風土記附録』(巻之六 博多 下)の「官内町・海元寺」に次のように記されており、現在では行方不明になっています。
 「近年濡衣の塔の邊より石龕(かん)一箇掘出せり。白鳳壬申と云文字あり。龕中に骨あり。いかなる人を葬りしにや知れず。此石龕を當寺に蔵め置る由縁をつまびらかにせず。」

(2)「大化元年」獣像。『太宰管内志』(豊後之四・大野郡)の「大行事八幡社」に次の記事があります。今も現存している可能性があります。
 「大行事八幡社ノ社に木にて造れる獣三雙あり其一つの背面に年號を記せり大化元年と云までは見えたれど其下は消て見えず」

(3)「白雉二年」棟札・木材。『太宰管内志』(豊後之四・直入郡)の「建男霜凝日子神社」に次の記事があります。今も現存している可能性があります。
 「此社白雉二年創造の由、棟札に明らかなり。又白雉の舊材、今も尚残れり」「又其初の社を解く時、臍の合口に白雉二年に造営する由、書付けてありしと云」

 この中で「白鳳壬申」骨蔵器については福岡市や久留米市での講演会で紹介し、地元の方々で調査してほしいと協力要請してきたところです。
 今日、たまたまこれらの九州年号史料のことが気になって、「大化元年」獣像があるとされる大野郡の大行事八幡社についてネット検索したところ、とても興味深いことがわかりましたので、ご紹介します。
 『太宰管内志』(豊後之四・大野郡)「大行事八幡社」の記録を頼りに、「大分県」「大野」「大行事八幡」で検索したところ、一発で目的とする神社がヒットしました。わたしが最初に驚いたのが大行事八幡社の所在地名でした。「大分県豊後大野市緒方町大化」といい、なんと字地名が九州年号の「大化」と同じなのです。「木にて造れる獣三雙あり其一つの背面に年號を記せり大化元年と云までは見え」と『太宰管内志』には紹介されており、この銘文の「大化元年」と地名の「大化」が無関係は思われません。
 同神社を紹介した「大分県豊後大野市から気ままなblog」に掲載されている写真に神社前の石柱があり、そこには「大化創祀 大行事八幡社」と彫られています。おそらく、木製の獣に彫られた「大化元年」とは同神社創建年次のことと思われます。
 このように地名に九州年号「大化」があり、石柱には「大化創祀 大行事八幡社」とあることから、同神社が大化元年に創建され、そのことにより字地名も「大化」とされたとする理解でよいと思われますが、この「大化」が九州年号「大化」(695〜703年)なのか、『日本書紀』の「大化」(645〜649年)の影響を受けて後世に「大化元年(645)創祀」と表記されたのかという問題が残されています。引き続き調査したいと思いますが、地元の方のご協力が得られれば幸いです。

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