第2027話 2019/10/31

多層石塔(臼杵市・満月寺石塔)の年代観(3)

 鶴峯戊申が『臼杵小鑑』で紹介した満月寺石仏の「正和四年卯月五日」の刻銘は現存しないようですが、満月寺には「正和四年乙卯夘月五日」と刻銘された五重石塔が現存しています。その下部から次のような刻銘が読み取れます。

【満月寺五重石塔刻銘】
「正和四年乙卯夘月五日願主阿闍梨隆尊敬白」
「滅罪証覚利益衆生所奉造立供養如件」
「右為先師聖霊尊全及隆尊之先考先妣」
「合力作者 阿闍梨圓秀」

 このように「正和四年乙卯夘月五日」とあり、年干支が「乙卯」と記されていますので、九州年号「正和四年」の年干支「己酉」と一致しません。
 他方、「正和」という年号は鎌倉時代にもあります。その正和四年(1315)の年干支は「乙卯」であることから、この五重石塔は鎌倉時代の正和四年乙卯(1315)の造立であることがわかります。この石塔の刻銘の写真を拝見しますと、干支の「乙卯」は縦書きの「正和四年乙卯夘月五日」とある文字列の中で「二行割注」のように横書きで「卯乙」と記されています。このように干支部分のみを小文字二行の横書きに記す例は中近世史料では普通に見られる書法で、同石塔に刻された「正和四年」(1315)の年次と矛盾なく対応しています。
 たとえば年干支二文字を小文字で横書きにされた金石文として、九州年号「朱鳥」が記された「鬼室集斯墓碑」が著名です。没年について次のように記されています。

 「朱鳥三年戊子十一月八日殞」

 一行の縦書きですが、年干支「戊子」部分の二字は小文字の横書きです。なお、年干支部分を小文字で横書きにするのは、鎌倉時代頃の金石文からよく見られるようになるといわれています。
 また、「夘月」という表記も六世紀前半にまで遡る例は国内史料には見えず、10世紀初頭頃に成立した『古今和歌集』136番歌(紀利貞)の詞書に見える「うつき(卯月)」の例が国内史料では最も古いようです。このことも同石塔を九州年号の「正和四年」(529)とする理解を困難としています。その点、鎌倉時代の「正和四年」(1315)であれば全く問題はありません。(つづく)

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