第613話 2013/10/20

表米宿禰「常色元年戦闘」伝承の「鬼」

 天長5年(828)成立の『赤渕神社縁起』に見える、九州年号「常色元年(647)戦闘」に記された「鬼神」「悪魔」「悪鬼」が新羅でなければ、その正体は何だったのでしょうか。このことを検討・考察してみました。
 まず『日本書紀』を読みなおしてみました。すると常色元年に相当する孝徳紀大化三年(647)七月条に「渟足(ぬたり)柵を造りて、柵戸を置く。」とい う記事が見え、翌大化四年是歳条には「磐舟柵を造りて、蝦夷に備ふ。遂に越と信濃との民を選びて、始めて柵戸を置く。」とあります。岩波文庫『日本書紀』の注によれば、渟足(ぬたり)柵は新潟県新潟市沼垂、磐舟柵は新潟県村上市岩船のことと説明されています。これらの記事から、常色元年頃に倭国と蝦夷国は緊張関係にあったことがうかがえます。「柵」を造り「柵戸」(柵を防衛する屯田兵)を新潟に配置しているのですから、現実的な蝦夷国からの脅威にさらされていたと思われます。
 他方、同じ『日本書紀』孝徳紀大化三年(647)七月条には新羅から金春秋の来倭記事がありますし、翌年の是歳条には「新羅、使を遣して貢調(みつぎた てまつ)る。」とあり、両者の関係は親密です。こうした『日本書紀』の史料事実から考えてみますと、『赤渕神社縁起』の「常色元年戦闘」伝承で表米宿禰が戦った「鬼」とは、新羅ではなく蝦夷ではないでしょうか。斉明紀になると倭国による「蝦夷討伐」記事が現れますが、おそらく倭国からの侵略・攻撃だけではなく、蝦夷国からの倭国への攻撃・侵略もあったはずです。そうでなければ新潟に「柵」が造られたりはしないでしょう。こうした理解が正しければ、『赤渕神社縁起』に見える「常色元年戦闘」伝承こそ、蝦夷国による丹後への侵入と交戦の貴重な現地伝承だったことになります。
 以上、史料批判と分析から導き出された仮説ですが、是非とも現地を訪問し、より詳しい調査を行いたいと思います。また、丹後以外にも日本海側に蝦夷国との交戦伝承が残っている可能性もありそうです。今後の楽しみな研究テーマです。

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