第448話 2012/07/28

松山市出土「大長」木簡

芦屋市出土の「元壬子年」木簡が九州年号の白雉「元 壬子年」(652年)木簡であることは、これまでも報告してきたところですが、当初、この木簡は「三壬子年」と判読され、『日本書紀』の「白雉三年」のこ とと『木簡研究』などで報告されており、九州年号群史料として有力史料と判断していた『二中歴』とは異なっていました。
わたしは奈良文化財研究所HPの木簡データベースでこの木簡の存在を知ったとき、この「白雉三年」との説明に驚きました。『二中歴』を最も有力な九州年 号史料としていた自説と異なっていたからです。そこで、わたしはこの木簡を徹底的に調査実見し、その「三壬子年」と判読されてきたことが誤りであり、「元 壬子年」と書かれていたことを発見したのでした。
このとき、わたしは自説に不利な史料から逃げずに、徹底的に立ち向かって良かったと思いました。このときの体験は、わたしの歴史研究生活にとって、大きな財産となりました。
それ以後も九州年号木簡を探索してきましたが、奈良文化財研究所の木簡データベースを閲覧していて、もしかすると九州年号木簡かもしれない木簡を見いだしましたので、ご紹介します。
それは愛媛県松山市の久米窪田II遺跡から出土した木簡で、「大長」という文字が書かれているようなのです(前後の文字は判読不明。「長」の字も推定の ようです)。最後の九州年号「大長」(704~712年)の可能性もありそうですが、断定は禁物です。人名の「大長」かもしれませんし、法華経など仏教経 典の一部、たとえば「大長者」の「大長」という可能性も小さくないからです。
『木簡研究』第2号によれば、「大長」木簡は1977年に出土しており、その出土層は八世紀初期を前後するものとされており、まさに九州年号の大長年間(704~712年)にぴったりなのです。
こうなると、実物を見る必要がありますので、松山市の合田洋一さん(古田史学の会・全国世話人)に連絡し、愛媛県埋蔵文化財センターに問い合わせていた だいたところ、同木簡は「発掘へんろ」巡回展に出されており、現在は高知県で展示されていることがわかりました。そのため、同木簡が愛媛県に戻るのは来年 三月とのこと。
残念ながら、それまでは本格的な調査はできませんが、九月には香川県で展示されるようですので、せめてガラス越しにでも見に行こうと思っています。

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