第1069話 2015/10/04

『泰澄和尚傳』に九州年号「朱鳥」の痕跡

 「泰澄和尚傳」(金沢文庫本)が泰澄研究において最も良い史料であることを説明してきました。そこで、同書の年次表記について更に詳しく調べてみますと、九州年号は「白鳳・大化」だけではなく、「朱鳥」の痕跡をも見いだしました。
 「泰澄和尚傳」(金沢文庫本)では泰澄について次の年次表記(略記しました)でその人生が綴られています。

西暦 年齢 干支 年次表記         記事概要
682   1 壬午 天武天皇白鳳廿二年壬午歳 越前国麻生津で三神安角の次男として生誕
692   11 壬辰 持統天皇七年壬辰歳    北陸訪問中の道照と出会い、神童と評される
695   14 乙未 持統天皇大化元年乙未歳  出家し越知峯で修行
702  21 壬寅 文武天皇大寶二年壬寅歳  鎮護国家大師の綸言降りる
712  31 壬子 元明天皇和銅五年壬子歳  米と共に鉢が越知峯に飛来
715   34 丙辰 霊亀二年         夢に天衣で着飾った貴女を見る
717   36 丁巳 元正天皇養老元年丁巳歳  白山開山
720   39 庚申 同四年以降        白山に行人が数多く登山
722   41 壬戌 養老六年壬戌歳      天皇の病気平癒祈祷の功により神融禅師号を賜る
725   44 乙丑 聖武天皇神亀二年乙丑歳  白山を参詣した行基と出会う
736   55 丙子 聖武天皇天平八年丙子歳    玄舫を訪ね、唐より将来した経典を授かる
737   56 丁丑 同九年丁丑歳       この年に流行した疱瘡を収束させる。その功により泰澄を号す
758   77 戊戌 孝謙天皇天平寶字二年戊戌歳 越知峯に蟄居
767  86 丁未 称徳天皇神護慶雲元年丁未歳 3月18日に遷化

 おおよそ以上のような年次表記で泰澄の人生が記されているのですが、まさに九州王朝から大和朝廷への王朝交代の時代を生きたこととなります、従って、年次表記には「天皇名」「年号」「年次」「干支」が用いられていることが多く、そのため700年以前の九州王朝の時代には九州年号が使用されているのです。その上で注目すべきは、北陸を訪れていた道照との出会いを記した692年の表記は「持統天皇七年壬辰歳」とあり、九州年号が記されていないことです。
 『日本書紀』では持統天皇六年が「壬辰」であり、翌七年の干支は「癸巳」です。たとえば金沢文庫本の校訂に用いられた福井県勝山市平泉寺白山神社蔵本では「持統天皇六年壬辰歳」とあり、こちらの表記が『日本書紀』と一致しているのです。しかしこの「持統天皇七年壬辰歳」には肝心の年号が抜けています。もしこの壬辰の年を九州年号で表記すれば、「持統天皇朱鳥七年壬辰歳」となり、金沢文庫本の「七年」でよいのです。すなわち、金沢文庫本のこの部分の年次表記には九州年号の「朱鳥」が抜け落ちているのです。「白鳳」「大化」と同様に700年以前は九州年号を使用せざるを得ませんから、「泰澄和尚傳」の書写の段階で「朱鳥」が抜け落ちた写本が、金沢文庫本だったのではないでしょうか。
 九州王朝説に立った史料批判の結果として、「泰澄和尚傳」は九州年号が使用された原史料に基づいて泰澄の事績を記したか、平安時代10世紀(天徳元年、957年)の成立時に、『二中歴』「年代歴」などの九州年号史料を利用して、大和朝廷に年号が無かった700年以前の記事の年次を表記したものと思われます。いずれにしても「泰澄和尚傳」は平安時代10世紀に成立した九州年号史料であり、九州年号偽作説のように「鎌倉時代以後に次々と偽作された」とすることへの反証にもなる貴重な史料ということができるのです。(つづく)

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