第222話 2009/08/13

蘇我氏の出身地

 『古田史学会報』の編集を西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人)に手伝っていただくことになり、編集ソフトの操作方法などの説明を本日行いました。終了後、最近の古田先生の新説やお互いの研究動向について長時間飲みながら談論しました。

   そのおり、わたしが蘇我氏の出身地が九州であることの史料根拠として、推古紀十九年条にある推古天皇の次の歌を紹介しました。
  「真蘇我よ 蘇我の子らは 馬ならば 日向の馬 太刀ならば 呉の真刀 うべしかも 蘇我の子らを 大君の つかはすらしき」
   推古天皇自らが、蘇我氏を大君がつかはすらしきと述べているのですから、この大君は推古天皇ではなく、九州王朝の天子と見なさざるを得ず、そうすると蘇我氏は元九州王朝の人物と考えられると指摘しました。
   西村さんも、蘇我氏九州出身説に賛成され、更に九州の豊国(大分県)の出身であるとされたのです。その根拠をたずねると、西村さんいわく。
   「『日本霊異記』(上巻第五話)の記事に蘇我馬子が祀っていた仏像を豊国に捨てろとあり、崇仏派の蘇我氏は豊国出身と思われる。」というものでした。
 そこでわたしは、それなら全国の「蘇我」さんの分布を調べるといいですねというと、西村さんはケータイに入力している電話帳データベースを検索されたの です。ちなみに、西村さんのケータイには古事記、日本書紀、倭人伝、和名抄、延喜式神名帳などが登録されており、検索機能付きという優れ物です。
   さて、その検索結果は、なんと最も「蘇我」さんが多い県は大分県だったのでした。同時に、有名な古代氏族である「蘇我」さんが件数としてはかなり少ないことにも驚きましたが、この西村説との一致は偶然とは思えないものを感じさせます。
 この他、話が弾んで「物部」さんの分布についても検索しました。こちらも驚愕の結果がでましたが、別の機会にご紹介したいと思います。

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