第597話 2013/09/19

文字史料による「評」論(2)

 今、上海の浦東国際空港でフライト待ちです。今日は中秋の名月ということで、中国は祝日で会社もお休みです。そのかわり 22日の日曜日が「振り替え平日」だそうです。おもしろい制度ですね。近年制定された祝日とのことで、家族そろって名月を見る日だそうです。ホテルの朝食にも名物の月餅(げっぺい)が出ました(追記:JALの機内食でも出ました)。そういえば、昨晩見た上海の満月はみごとでした。以前と比べると上海の空も きれいになったようです。
 今日帰国しますが、16日の日は台風のおかげで関空に行けず、中国出張が一日遅れたので、楽しみにしていた武漢行きはキャンセルとなりました。

 さて、近年もっとも衝撃を受けた「評」史料の一つが、藤原宮出土の「倭国所布評」木簡でした。「洛中洛外日記」第447話「藤原宮出土『倭国所布評』木簡」で紹介しましたが、藤原宮跡北辺地区遺跡から出土した「□妻倭国所布評大野里」(□は判読不明の文字)と書かれた木簡です。奈良文化財研究所のデータベースによれば、「倭国所布評大野里」とは大和国添下郡大野郷のことと説明されています。
 近畿天皇家の中枢遺構から出土した「評」木簡ですが、700年以前すなわち九州王朝(評制)の時代に、近畿天皇家は自らの中枢領域(現奈良県に相当か) を「倭国」と表記していたのです。「倭国」とは当然のこととして九州王朝の国名であり、その国名を近畿天皇家が自らの中枢領域の地名表記に用いることができたということは、700年以前に既に列島内ナンバーワンの「国名」使用が近畿天皇家には可能であったということを示します。
 この史料事実からどのような仮説が導き出され、その仮説の中でもっとも有力な仮説を検討する必要性を感じています。まずは古田学派内で多くの作業仮説が出され、それらの中から相対的に最も合理的で優れた論証(わたしがいうところの相対論証)と仮説の絞り込みが必要です。読者や研究者の皆さんの仮説提起をお待ちしています。(つづく)

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