第849話 2015/01/04

古代と幕末の「禁書」

 今日からスタートした大河ドラマ「花燃ゆ」は、なかなか面白い滑り出しで次も見てみようという気にさせる内容でした。今回のキーアイテムは徳川幕府が所持を禁止した「禁書」(『海防憶測』)で、その「禁書」を通じて少女時代の杉文が兄の吉田松陰(寅次郎)と小田村伊之助を引き合わせるという展開です。松陰や文が『孟子』の言葉をたびたび口にする場面があったのが印象的でした(例: 至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり)。
 「禁書」といえば、古田ファンや古田学派の研究者にはよくご存じのことと思いますが、『続日本紀』に記された次の記事が有名です。

 「山沢に亡命し、禁書を挟蔵して、百日首(もう)さぬは、また罪(つみな)ふこと初の如くせよ。」『続日本紀』元明天皇和銅元年(708)正月条

 政権を奪取したばかりの大和朝廷にとっての「禁書」ですから、自らの正統性を脅かす文書であることに間違いはないでしょ う。おそらくは「九州王朝史」や「九州王朝律令」などではないかと推定しています。自らが制定したばかりの「大宝律令」にとって、「九州王朝律令」など統治の邪魔になったでしょうし、おそらくは編纂作業中の『古事記』『日本書紀』の大義名分(神代の昔から近畿天皇家が日本列島の代表者であり、九州王朝など 存在しなかったことにする)に抵触する「九州王朝史」などもってのほかです。
 この「九州王朝史」「九州王朝律令」の類は各地の国司や国造、有力豪族には九州王朝から公布(周知徹底)され、国内のいたるところに存在していたはずで す。もちろん、近畿天皇家も持っていたことでしょう(西村秀己説)。それらを回収隠滅することは新たな権力者にとって不可欠の仕事です。だから「禁書」を提出せず、山沢(神籠石山城か)に亡命した者に百日以内に自首せよと命令したのが、先の『続日本紀』の記事だったのです。こうした命令を出さなければならない状況は、九州王朝説(701年の王朝交代)がもっともうまく説明できるのです。
 なお、九州王朝関連行政文書のうち、「庚午年籍」(670年に造籍された初めての全国的戸籍と考えられています)は、統治行政にとって必要ですから、これだけは没収隠滅されることなく、大和朝廷は書写・保管を全国の国司に命令しています。
 わたしはこの「禁書」についての論文(「『禁書』考 -禁じられた南朝系史書-」『古田史学会報』67号2005年4月)を書いたことがあります。その末尾の一文をここに紹介します。

 「『禁書』は、古代も現代も真実の歴史に対する権力者の怯えの産物なのである。」

 古田先生の著作や論説が日本古代史学界にあって、現代の「禁書」扱いとなっていることこそ、歴史の真実を国民に知られたくない権力者や御用学者の怯えの産物なのです。そうしたなか、陸続と古田先生の著作を復刊されているミネルヴァ書房の至誠に敬意を表したいと思います。

(雑話)わたしが二十代の頃、勤務先の労組書記長をしていたときの思い出ですが、会社主催の社員旅行で山口県萩市に行くことになりました。ところがなんと、毛利氏の菩提寺は見学したのですが、見学コースに松下村塾が入らなかったのです。
 「萩まで行って、松下村塾を見学しないとは何事か」と、親子ほど歳の離れた労務課長のKさんにどなりこんだところ、Kさんも「わたしも同感だ。会社はけしからん」と一緒になって怒り、その夜、二人で祇園に繰り出し気炎を上げました。懐かしい青春の思い出です。

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