第28話 2005/09/16

卑弥呼(ひみか)の子孫は?

 古代の有名人と言えば、邪馬壹国(「邪馬台国」とするのは誤り。三国志原文は「邪馬壹国」やまいちこく)の女王卑弥呼(ひみか)でしょう。その卑弥呼の御子孫は続いているのでしょうか。結論から言うと、魏志倭人伝には卑弥呼は独身だったと記されていることから、直系の子孫はいないと思われます。しかし、後を継いだ同族の娘、壹與(「台與」とするのも誤り。原文は「壹與」)の子孫はいる可能性があります。
というのも、筑後国風土記逸文に次のような記事があるからです。

 「昔、此の堺の上に麁猛神あり、往来の人、半ば生き、半ば死にき。其の数極(いた)く多なりき。因りて人の命尽(つくし)の神と曰ひき。時に、筑紫君・肥君等占へて、今の筑紫君等が祖甕依姫(みかよりひめ)を祝と為して祭る。爾より以降、路行く人、神に害はれず。是を以ちて、筑紫の神と曰ふ。」

 この甕依姫(みかよりひめ)が卑弥呼のことである可能性が極めて高いことを古田先生は論証されましたが、そうすると甕依姫が「今の筑紫君等が祖」と呼ばれているように、風土記成立時点の「今」、おそらく6〜7世紀、あるいは8世紀時点の筑紫の君の祖先が卑弥呼であったことになります。すなわち、筑紫の君磐井や薩夜麻らが卑弥呼や壹與の一族の出であることになります(直接には壹與の子孫)。九州王朝の王であった筑紫の君の御子孫が現存されていることは、以前に述べましたが、この御子孫達が壹與直系の可能性を有しているのではないでしょうか。もちろん、九州王朝王家の血統も複雑のようですから、断定は控えますが、興味有る「可能性」だと思います。

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