第234話 2009/11/08

九州王朝天子「天」一族の行方

 わたしの二十数年に及ぶ九州王朝研究において、重要テーマの一つに、九州王朝王族の末裔に関する問題があります。古田先生と松延氏(八女市)の出会いが
きっかけとなって、高良玉垂命の末裔の稲員家・松延家が倭王の末裔だったことが、同家の系図などにより明かとなったことは著名ですが、『隋書』にある「日
出ずる処の天子」多利思北孤が名のっていた「天(あめ)」一族について、面白そうな情報に出会いました。
 それは、丸山晋司さんからいただいた本、『山岳宗教史研究叢書16 修験道の伝承文化』五来重編に収録されている、日向米良修験道を紹介した次の文です。

 「さてその米良氏は、現在すでに各地に分家してしまったが、その出自については、菊池氏の後裔という説がある。これは近世、近代に書かれた系図、系譜、由緒書に基づいており、また天(あめ)氏を名乗った形跡も見られる。」同書603ページ
 「また、東臼杵郡東郷町附近に定着した米良氏は、天氏を名乗っており、天文十八年には羽坂神社に梵鐘を奉納している。」同書604ページ「米良修験と熊野信仰」より

 このように宮崎県などの熊野信仰の担い手だった米良修験道の米良氏が、菊池氏の後裔であり、天(あめ)氏を名乗っていたということが紹介されているので
す。出典調査などはこれからですが、肥後の菊池氏に由来する米良氏が天氏を名乗っていたということは、『隋書』イ妥国伝の天子・阿毎多利思北孤(あめのた
りしほこ)との関係をうかがわせるのではないでしょうか。
 「菊池氏の探究」は新たなテーマですが、全国の天氏の分布図などもあれば、何か面白い事実が浮かび上がるかもしれませんね。

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