第2916話 2023/01/14

多元史観から見た古代貨幣「富夲銭」

七世紀以前の九州王朝(倭国)時代の貨幣として、出土が知られているのが無文銀銭と富夲銅銭(注①)です。いずれも出土分布の中心は近畿地方であり、残念ながら九州からの出土は確認できていません。
「洛中洛外日記」2915話(2023/01/13)〝多元史観から見た古代貨幣「和同開珎」〟で紹介したように、『続日本紀』には和同開珎が大和朝廷最初の貨幣としていますから、七世紀後半の遺構から出土(注②)している富夲銭は九州王朝の貨幣と考えざるを得ません。この考古学的出土事実と対応する記事が『日本書紀』天武紀に見えます(注③)。

○「夏四月の戊午の朔壬申(15日)に、詔して曰く、「今より以後、必ず銅銭を用ゐよ。銀銭を用ゐること莫(なか)れ」とのたまふ。乙亥に、詔して曰く、『銀用ゐること止むること莫れ』とのたまふ。」天武十二年(683年)四月条。

この「銀銭・銅銭」記事が時期的に富夲銭に相当しますが、そうであれば出土した富夲「銅銭」の他に富夲「銀銭」もあったことになります。なお、富夲銭出土以前は同記事の「銀銭・銅銭」の鋳造年代は未詳とされていました(注④)。また、この記事は造幣開始記事ではありませんから、九州王朝(倭国)により既に銀銭・銅銭が発行されていたことを示唆しています。しかし、天武十二年(683年)の十八年後には九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)へ王朝交代しますから、富夲銭は広く大量に流通したわけではないようです。(つづく)

(注)
①「富本銭(ふほんせん)」と表記されることが多いが、銭文の字体は「富夲」「冨夲」である。七世紀当時の「夲」は、「本」の異体字として通用している。
②飛鳥池遺跡や上町台地の細工谷遺跡、藤原宮跡などから富夲銭が出土している。
③日本古典文学大系『日本書紀 下』岩波書店、1985年版。
④日本古典文学大系『日本書紀 下』(457頁)頭注には「これらの銀銭・銅銭の鋳造年代は未詳。」とある。

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