第966話 2015/06/01

鞠智城を初訪問

京都に帰る新幹線の車中で書いています。前垣さんと高木先生のご案内で鞠智城を見学してきました。主任学芸員の木村龍生さん(熊本県立装飾古墳館分館歴史公園鞠智城温故創生館)から懇切丁寧な説明と同遺跡を案内していただきました。しかも特別に「八角堂(鼓楼)」の内部も入らせていただきました。感謝感激です。矢継ぎ早のわたしからの質問に対しても的確に答えていただき、若くてとても博学な研究者でした。
わたしからの主な質問と、木村さんのお答えは次のような内容でした。簡潔に記します。

(問)鞠智城の訓みは「キクチ」と「ククチ」とではどちらが適切か。
(答)『和名抄』の郡名の訓みでは「ククチ」とあり、これが史料根拠としては最も古い。

(問)鞠智城の編年は須恵器に依っているのか。
(答)須恵器と土師器に依った。

(問)貯木場から出土した木材の年輪年代測定は実施したのか。
(答)していない。(予算的に困難のようであった)

(問)出土した仏像を百済系とされているが、その根拠は何か。
(答)全体の形式から百済系と判断された。ただし韓国の学者には、仏像が筒状のものを持っているが、百済の仏像には見られないので、百済系ではないという意見の人もいる。百済系仏像は中国南朝の影響を受けており、「宝珠」を持つのが普通とのこと。

(問)仏像の出土状況はどのようなものだったか。故意に廃棄されたのか、それとも何らかの理由で放置されたのか。
(答)発掘当事者の意見としては、周囲の土が固められたようだったので、故意の埋納の可能性もあるとのこと。

(問)「八角堂(鼓楼)」は前期難波宮の八角堂と比較してどのような差があるか。
(答)前期難波宮よりもやや小さい。前期難波宮にはない芯柱を持っている。

(問)「八角堂(鼓楼)」の一つは礎石造りとのことだが、瓦葺きか板葺きか。
(答)その付近から瓦は出土していないので、板葺きと思われる。復元された鼓楼が瓦葺きなのは、耐候性やメンテナンスなどのことを考えてのこと。数十トンの瓦の重量を支えるため、地下7mまで掘り下げて基礎を造った。

(問)瓦を造った窯の場所はどこか。
(答)不明。

(問)周囲の土塁の高さはどのくらいだったのか。土塁の上に柵はあったのか。
(答)土塁の高さは約3m程度と思われる。上部は削られていたので、柵の有無は不明。土塁の前面と後面は版築のための柵が設けられている。

(問)建造物の柱は残っていないのか。
(答)抜き取られていて残っていない。瓦なども他に持ち出されて再利用された可能性が指摘されている。

(問)製鉄や鋳物工房跡はないのか。
(答)鉄製遺物と小さなフイゴが出土しており、小規模な金属加工が行われていた可能性はある。

(問)貨幣は出土しているか。
(答)していない。

(問)近くに古代道路の「車路」が通っているが、鞠智城からの距離はどのくらいで、西海道とどちらが古いと考えられるか。
(答)1kmほど離れている。西海道よりも「車路」の方が古いと考えている。もともとの官道は「車路」で、8世紀に肥後国府ができてから西海道が造営されたと考えている。

(問)鞠智城の性格はどのようなものと考えられているか。
(答)様々な説が出されており、論争中。たとえば、大宰府や肥後国府への兵站基地、官庁的性格、倉庫的性格、対隼人戦の基地など。

(問)鞠智城への見学者はどのくらいか。
(答)年間10万人ほど。春と秋が多い。夏は暑く、冬は積雪の心配があって来場者は減る。

この他にもたくさんの質疑応答を行いました。貴重な報告集などもいただき、何度もお礼を述べて鞠智城を後にしました。京都に帰ったら、しっかりと勉強したいと思います。
帰りの新幹線の時間まで余裕がありましたので、高木先生の案内で山鹿市の横穴装飾墳を見学しました。壁面に五弦の琴を持った人物が掘られた墓もあり、とても興味深いものでした。お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。
ここまで書いたら、ちょうど京都駅に到着しました。

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