第1000話 2015/07/17

九州王朝説から見た鍍金鏡

 台風11号の接近で開催が危ぶまれていた京都祇園祭の山鉾巡行は決行されることになったようです。本当かどうかはわかりませんが、山鉾巡行は「小雨は決行。大雨なら強行」という方針らしく、今回は台風ですので、どうなるのか興味津々でした。なお、わたしは仕事で大阪出張のため、いずれにしても見ることはできません。

 おかげさまで「洛中洛外日記」も今回で1000話となりました。早いもので開始して10年が経ってしまいました。少しずつでも成長できていれば良いのですが、近年、視力や記憶力が低下しているようで、昔に書いた論文の内容や存在そのものを忘れていることも少なくありません。そんなとき、「古田史学の会」のホームページで検索して思い出せますので、ありがたいことです。
 最近、気になってしかたがないテーマとして、古墳出土の鍍金鏡があります。国内出土鍍金鏡は数枚ほどと言われており、とても珍しく貴重な遺物です。有名なものでは、福岡県糸島市一貴山銚子塚古墳(4世紀)出土の鍍金方画規矩四神鏡と熊本県球磨郡あさぎり町才園(さいぞん)古墳(6〜7世紀)出土の鍍金獣帯鏡があります。この他にも岐阜県揖斐郡大野町城塚古墳出土の鍍金獣帯鏡が知られています(五島美術館所蔵)。
 これら鍍金鏡はいずれも中国製とされているようですが、一貴山銚子塚古墳は年代も比較的古く、糸島地方最大の前方後円墳ですから、九州王朝内でも高位の人物の墓であり、鍍金鏡は有数の宝物の一つと言えそうです。この鏡が国産なのか中国製なのか、鍍金も中国で行われたのか国内で行われたのかというテーマがあります。
 以前、古田先生は卑弥呼がもらった「黄金八両」がこの鏡の鍍金に用いられたのではないかと指摘されましたが、この時代の倭国に鍍金技術(水銀アマルガム法か)が果たしてあったのかという問題もあります。
 才園古墳の鍍金鏡については、その出土地が熊本県南部の「山中」ということも気になります。なぜ肥後国内でもこのような奥地から出土したのかという疑問があるのですが、やはり現地の土地勘がなければ何とも判断できません。中国南部の呉国との関係を指摘する見解もあるようですが、「呉鏡」とすれば九州王朝と「呉」との関係も検討が必要です。
 以上のように鍍金鏡については疑問だらけです。これから勉強したいと思いますが、どなたか詳しい方がおられればご教示いただきたいと願っています。

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