第1073話 2015/10/11

四天王寺伽藍方位の西偏

 摂津国分寺の研究のため、大阪歴博2階の「なにわ歴史塾」図書ルームで発掘調査報告を閲覧していたとき、あることに気づきました。難波京の条坊はかなり正確に南北軸と東西軸に一致していますが、その難波京内にある現・四天王寺の主要伽藍の南北軸が真北より5度程度西に振れているのです(目視による)。以前ならほとんど気にもかけなかった「西偏」ですが、最近研究している武蔵国分寺の主要伽藍が真北から7度西偏しているという問題を知りましたので、この四天王寺も真北からやや西偏しているという事実に気づくことができたのです。
 もちろん「西偏」しているのは、現在の四天王寺ですから、この現象が古代の創建時まで遡れるのかは、発掘調査報告書を読んだ限りでは不明です。四天王寺は何度か火災で消失していますから、再建時に同じ方位で設計されたのかがわかりませんから、断定的なことは今のところ言えません。しかし、正確に南北に向いている条坊都市の中の代表的寺院ですから、その条坊にあわせて再建されるのが当然のようにも思われます。
 しかし、次のようなケースも想定可能ではないでしょうか。すなわち、四天王寺(天王寺)が創建された倭京二年(619年、『二中歴』による)にはまだ条坊はできていませんから、天王寺は最初から「西偏」して造営されたのではないでしょうか。その「西偏」が現在までの再建にあたり、踏襲され続けてきたという可能性です。
 もし、そうであれば九州王朝の「聖徳」が難波に天王寺を創建したときは、南北軸を真北から「西偏」させるという設計思想を採用し、その後の白雉元年(652年)に前期難波宮と条坊を造営したときは真北方位を採用したということになります。この設計思想の変化が何によるものかは不明ですが、この現・四天王寺の方位が真北から「西偏」しているという問題をこれからも考えていきたいと思います。

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