第1232話 2016/07/15

九州王朝説に突き刺さった三本の矢(10)

 正木裕さんに続いて、前期難波宮九州王朝副都説を支持する研究を発表されたのが、服部静尚さん(古田史学の会・編集長)です。服部さんの研究の中でも、わたしが特に注目しているのは「竜田の関」問題と「律令制官僚の人数と宮殿の規模」問題です。
 服部さんが指摘された「竜田の関」問題は意表をついたもので、大和川沿いに河内と大和を繋ぐ道に設けられた「竜田の関」は河内方面から大和盆地に進入する勢力から大和朝廷を防衛するためのものと考えられてきました。しかし、服部さんの調査によると、なんと「竜田の関」は大和盆地方面からの侵入に対して河内側を防衛する位置にあるとのこと。河内の先には前期難波宮があり、従って「竜田の関」は大和の近畿天皇家の勢力から前期難波宮を防衛するための関ということになります。
 確かに地図で確認すると、「竜田の関」があったとされる場所の地勢は、東側からの侵入を阻止するのに効果的な位置です。このことは大和朝廷一元論ではうまく説明できず、東の勢力(近畿天皇家等)から九州王朝の難波副都を防衛するための関という理解を支持します。近畿にある古代の関が九州王朝と関係していたという画期的な服部説ではないでしょうか。(つづく)

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