2005年07月11日一覧

第11話 2005/07/11

信州のお祭り・お船

 松本市での講演会の前日、同市の中央図書館に行き、以前から気になっていた諏訪大社の御柱祭について調査しました。同祭の写真集などを見ていると、御柱を出迎える「お船」が道路上を曳かれている光景がありました。こんなところにも「お船」が登場するのかとちょっと驚きました。
 信州のお祭で有名なものに、穂高神社(南安曇郡穂高町)のお船祭がありますが、安曇という地名からも想像できるように、海人(あま)族のお祭ですからお船と呼ばれる山車が登場するは、よく理解できるのです。しかし、諏訪大社の御柱祭にまで主役ではないようですがお船が登場することに、その由緒が単純なものではないなと感じたわけです。
 祇園山鉾や博多山笠の山車が、古代の船越に淵源するのではないかという古川さんの説を洛中洛外日記第7話で紹介しましたが、今回の調査の際、『隋書』倭国伝(原文はイ妥国伝)の次の記事の存在に気づき、新たな仮説を考えました。

 『隋書』には倭国の葬儀の風習として次のように記録しています。

「葬に及んで屍を船上に置き、陸地之を牽くに、或いは小輿*(よ)を以てす。」

輿*(よ)は、輿の同字で、輿の下に車 [輿/車]。

 倭国では葬儀で死者を運ぶのに陸地でも船を使用していたことが記されているのです。そうすると、山車の淵源は海人族の葬儀風習にあったと考えてもよいのではないでしょうか。祇園山鉾や博多山笠の「ヤマ」が古代の邪馬台国(『三国志』原文は邪馬壹国)と関係するのではないかという、わたしのカンも当たっているかもしれませんね


第10話 2005/07/11

信州のお祭り・縄張り

 松本市での講演会も盛況の内に終わりました。毎回のことながら「古田史学の会・まつもと」の皆様には大変お世話になりました。御礼申し上げます。
 今回、松本に行って気が付いたのですが、当地では神社のお祭りの際には、氏子の家など神社周辺一帯に白い御幣を垂らした縄を張り巡らすのです。行きの列車の窓からもこの光景を目にしましたし、松本神社周辺でもかなり広い範囲に縄が張られていました。最初は何のことか判らずに、「古田史学の会・まつもと」の木村さん(同会会計)や北村さん(同会副会長)にお聞きしたところ、信州ではお祭りの時に、このように御幣を垂らした縄を張り巡らせるとのことでした。そして、日本中どこでもお祭りではこうするものだと思っておられました。わたしが、京都や郷土の久留米市では見たことがないと言うと、驚いておられたのが印象的でした。それくらい、信州ではこの習慣が根付いているのでしょう。
 思うに、この「縄張り」はお祭りに当たっての「結界」のようなもので、神聖な場所、すなわち「アジール」を示すものではなかったか、と推測しています。こうした風習は他の地域でもあるのでしょうか。興味深いところです。
 柳田国男が「日本の祭」で信州の穂高神社の例として、祭の際に「境立て」として四方十町ほどの境の端に榊の木を立てることを記していますが、縄を家々の回りに延々と張るのと同様の神事かもしれません。ある意味では、より徹底した神聖な場の囲い込みではないでしょうか。