九州王朝の末裔
本会機関紙『古田史学会報』は会員以外に国会図書館や友好団体、会の友人の皆様にもお送りしていますが、その友人の一人に福岡県八女市のAさんがおられます。Aさんからは二ヶ月に一度、会報を送る度に丁重なお礼の電話をいただきます。会報の感想もうかがうことができ、大変熱心な読者でもあります。そのAさんですが、なんと九州王朝の御子孫の一人なのです。
Aさんと古田先生の出会いは、今から約20年ほど前のことです。古田先生が八女市で講演をされ、その後の懇談会席上でAさんが、九州王朝の末裔であることを名乗り出られたそうです。その時はAさんをよく知る地元の人も大変おどろかれたそうです。
Aさんは古田先生の九州王朝説のことを以前から知っておられたらしく、これが自分達の先祖のことであると気づいたそうですが、著者の古田という人物がどのような人か判らないので、今まで黙っていたとのこと。一族の者とも相談の上、古田先生の講演を直接聞いてみようということになり、その結果、この人なら大丈夫と思い、名乗り出ることを決心したとのことです。大変ドラマティックな出会いです。
その後、古田先生はAさんの御自宅で家系図を見せていただき、驚愕されたそうです。その系図には七世紀以前の人名に「天皇」や「天子」「○○皇」などがずらりと並んでいました。七世紀末以降は普通の人名になり、古田先生の九州王朝説(701年に滅亡。大和朝廷と列島の代表者を交代)とよく対応していたのです。(つづく)
古田武彦「高良山の『古系図』」『古田史学会報』35号参照