筑後国府跡の字地名
第一期筑後国府跡は合川町枝光の南側にありますが、同地には「フルコフ」と呼ばれていた字地名があることが、『久留米市史』(昭和七年発行)に紹介されています。同書によれば「フルコフ」とは「古国府」のこととされ、そうであれば「古国府」と呼ばれるようになったのは、「新国府」である第二期筑後国府成立以後と考えられます。地名の遺存性の強さには本当に驚かされます。
さらに、「フルコフ」の「西隈高隆の地を『コミカド』と称す」とあり、「小朝廷」の意味ではないかとしています。大変興味深い地名で、もし「小朝廷」であれば、九州王朝説や筑後遷宮説にとって貴重な傍証となるでしょう。
この他にも「チョウジャヤシキ」などの地名も記されており、筑後国府跡地名の多元史観による調査検証が待たれます。