『筑後国正税帳』の証言
筑後国府には考古学的に謎が多いことを述べてきましたが、文献上にも不思議な記事があります。既に古田先生が指摘されているテーマですが、天平10年(738)の正倉院文書『筑後国正税帳』に筑後国より都あるいは律令制下の大宰府に献上された品目が記されています。その中に他国の正税帳とは全く異なる品目が列挙されているのです。
たとえば、銅釜工、轆轤工3人、鷹養人30人、鷹狩り用と思われる犬15匹です。そして何よりも驚きなのが、白玉113枚、紺玉71枚、縹玉933枚、緑玉72枚、赤勾玉7枚、丸玉4枚、竹玉2枚、勾縹玉1枚という大量の玉類です。これら全ての玉類が筑後地方から産出するとは考えられませんから、他国から筑後国に集められたと思われます。
こうした史料事実は通説では説明不可能です。九州王朝説やわたしの筑後遷宮説でなければ説明できないと思います。すなわち、天子や王侯の遊びであった鷹狩りが行われていた証拠である「鷹養人30人」や「鷹狩り用の犬」の献上は、この地に九州王朝の都があった証拠なのです。大量の玉類も同様です。もしかすると、九州王朝の「正倉院」が筑後国にあったのではないでしょうか。そうすると、大量の玉類はそこに収蔵されていた可能性が濃厚です。
第三期筑後国府跡に曲水の宴遺構が隣接していたことも、このことと関連して考察するべきでしょう。
(古田史学会報36号「両京制」の成立 古田武彦 参照)
話は変わりますが、昨日15日に古田史学の会・関西例会が行われました。残念ながら勤務の都合で私は欠席しましたが、テーマのみお知らせしておきます。
〔古田史学の会・7月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞 歴史でたどる日本の古寺名刹「天台の道」
○研究発表
1. 伊予の大族、越智・河野系譜にみる、国政とのかかわり伝承(豊中市・木村賢司)
2. コバタケ珍道中・信州編(木津町・竹村順弘)
3. 彦島物語・別伝(大阪市・西井健一郎)
4. 九州年号古賀試案の検証(奈良市・飯田満麿)
5. 大野城創建と城門柱の刻書(岐阜市・竹内強)
6. 熊本県浄水寺の平安時代石碑群(相模原市・冨川ケイ子)
7. 敵を祀る・旧真田山陸軍墓地(豊中市・大下隆司)
○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・教科書から消える聖徳太子・他(奈良市・水野孝夫)