2008年04月一覧

第171話 2008/04/27

九州王朝の白鳳六年「格」

 大和朝廷に先だって九州王朝が律令を制定していたことを古田先生が指摘されていますが(「磐井律令」)、それであれば律令体制下の行政命令に相当する「格 きゃく」も存在していたものと推定されます。大和朝廷の史料では、『類従三代格』などが著名ですが、九州王朝系の「格」の痕跡をこの度「発見」することができました。
 4月の関西例会でも発表したのですが、『日本後紀』延暦十八年(799)十二月条に、亡命百済人等の子孫による賜姓を請う記事があり、その中で祖先が百済から亡命した際、当初、摂津職(難波)に安置され、その後の「丙寅歳正月廿七日格」にて甲斐国に移住を命じられたと述べています。この丙寅歳は666年に相当し、九州年号の白鳳六年のことです。この時代は九州王朝の時代ですから、「丙寅歳正月廿七日格」は九州王朝が発した「格」ということになります。
 更に言うならば、最初に留めおかれた所が「摂津職」とありますから、大和朝廷の『養老律令』などで規定された「摂津職」は、その淵源が九州王朝律令にあったこととなります。従来は、難波宮があったため大和朝廷は摂津を「国」ではなく、「職」にしたと理解されてきましたが、九州王朝の時代から既に「摂津職」とされていたことは、わたしの前期難波宮九州王朝副都説に対応しており、思いがけない発見となりました。すなわち、九州王朝は副都がある摂津を「職」と命名位置づけていたことになるのです。『日本後紀』の九州王朝「格」記事は、摂津職の淵源まで、明らかにしてくれたのでした。


第170話 2008/04/20

発見!持統天皇の「建郡」詔

 4月の関西例会では、久しぶり2テーマの研究発表を行いました。九州王朝律令下の行政命令に相当する白鳳6年(666)「格」の発見や、九州王朝下の摂津職、そして、持統天皇のが696年に「建郡」の詔勅を出していたこと等を発表しました。詳細については、これから論文にして発表する予定です。

 例会の内容は次の通りでした。
 
〔古田史学の会・4月度関西例会の内容〕
  ○研究発表
  1). 「計其道里當在会稽東治之東」の新考察(神戸市・田次伸也)
  2). 九州王朝「格」の発見─難波宮と摂津職─(京都市・古賀達也)
  3). 『日本書紀』紀年の構成(たつの市・永井正範)
  4). 沖ノ島7・8(生駒市・伊東義彰、水野氏が代理解説)
  5). 「邪馬壹文庫」小屋の完成(豊中市・木村賢司)
  6). 持統天皇の建郡の詔勅─大化改新詔勅の史料批判─(京都市・古賀達也)
  7). 難波遷都と「伊勢王東国に向(ま)かる」(川西市・正木裕)
 
  ○水野代表報告
   古田氏近況・会務報告・「大化改新」論・他(奈良市・水野孝夫)


第169話 2008/04/18

「丁亥年」刻書紡錘車の新視点

 昨年12月、佐賀県小城市の丁永(ちょうえい)遺跡から日本最古の刻書紡錘車が出土したことが、新聞などで報道されました。直径4.58cm、厚さ0. 75cmの紡錘車の片面に、「丁亥年 六月十二日 □(木へん+是)十□□」(□は判読困難な字)と刻書されており、一緒に出土した土器片などから、この 「丁亥年」は687年のことと考えられています。

 また、刻書紡錘車のほとんどが関東地方で出土していますから、関東地方特有の風習であり、小城市から出土したこの紡錘車も、関東からこの地に派遣された防人がもたらしたものと見てよいと思われます。新聞でもそのように報じられています。
 今回わたしは、刻書の内容とその史料性格に着目しました。刻書の前段は年月日、後段は人名と思われます。「亦(木へん+是)十万呂」(いて・とまろ)と 判読している新聞もありましたが、人名であることは確かと思われます。東京都日野市から、同じく刻書紡錘車で、「和銅七年十一月二日 鳥取部直六手縄」と、年月日と人名が刻書されたものが出土していますから、これと同類の史料性格なのです。
 それではこの「年月日+氏名」という文字情報は何を意味しているのでしょうか。思うに、人間にとって名前と同様に大切な年月日は生没年でしょう。特に生きている人間には生年が大切な日となります。したがって、この刻書紡錘車の年月日と氏名は、持ち主の名前と誕生日ではないでしょうか。この二つがあれば、 古代において出身地の戸籍と照合することにより、みずからの身分証明書の役割を果たすことができるのです。丁亥年(687)であれば、既に庚午年籍 (670)が完成している時期ですから。
 更に想像を逞しくすれば、この刻書は、母親が生まれたわが子の生年月日と名前を刻んだもので、ひもを通して子供の首に下げてあげたのかもしれません。やがて、その子が青年となり、防人として関東から九州へむかうことになった時、母親の形見として、そして自らの身分証明として刻書紡錘車を持参したのです。 おそらく、この防人は生きて故郷に帰れなかったものと思われます。佐賀県小城市で没したため、この地から紡錘車は出土したのでしょうから。
   なお、この刻書紡錘車出土のことは、福岡市の上城誠(本会全国世話人)より教えていただきました。


第168話 2008/04/06

発刊!『古代に真実を求めて』第11集

 古田史学の会編集の論集『古代に真実を求めて』第11集が発行されました。2007年度賛助会員(年会費5000円)には1冊進呈しています(発送中)。一般会員の方は、書店にてご注文いただくか、『古田史学会報』記載の本会書籍部(会員特価あり)にお申し込み下さい。
               掲載論文は次の通りです。古田先生の講演録・研究論文が半分を占めており、古田ファン待望の1冊となりました。(明石書店刊 2200円+税)

              ○巻頭言 古田史学の会代表 水野孝夫
              ○講演記録
               寛政原本と学問の方法 古田武彦 2007年1月 於:大阪市
               人類と日本古代史の運命─歪んだ教科書─ 古田武彦 2007年10月 於:豊中市
              ○研究論文
               寛政原本と古田史学 古田武彦
               最後の九州年号─「大長」年号の史料批判─ 古賀達也
               続・最後の九州年号─消された隼人征討記事─ 古賀達也
               不破道を塞げ─壬申の乱は九州─ 秀島哲雄
               武烈天皇紀における「倭君」 冨川ケイ子
               エクアドルの大型甕棺─倭国南海を極める。光武以って印を賜う─ 大下隆司
               皇暦実年代算定についての試案 飯田満麿
               『日本書紀』「持統紀」の真実─書紀記事の「三十四年遡上」現象と九州年号─ 正木 裕
               万葉集二十二番歌 水野孝夫
              ○フォーラム
               呪符の証言(遺稿) 林 俊彦
              ○付録
               古田史学の会・会則
               「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
               第十二集投稿募集要項
               古田史学の会 会員募集
           編集後記