王朝「習合」の思想
6月20日、古田史学の会は午前中に関西例会を、午後からは「禅譲・放伐」シンポジウムと定期会員総会を開催しました。
シンポジウムでわたしは、『日本書紀』が禅譲とも放伐ともつかない内容になっている理由について、古代日本には神神習合・人人習合・王朝習合といった異質なものを同じものと見なす「習合」思想ともいうべきものがあり、この思想(知恵)により敵対関係の融和や同化がはかられてきたのであり、『日本書紀』は この思想に基づいて、あるいは「利用」して編纂されたとする仮説を発表しました。
たとえば、アマテラスとスサノオを兄弟関係とすることにより、先行する出雲王朝との「習合」をはかったり、神功紀に卑弥呼や壹與を「倭の女王」として 「登場」させ、いかにも大和朝廷と邪馬壹国を同じものとする「習合」が目論まれています。
もっと凄まじい「習合」の離れ業としては、継体天皇の子孫達が編纂した『日本書紀』であるにもかかわらず、継体の祖先の伝承ではなく、継体の奥さん(仁賢の娘)の祖先の伝承を記載するということを行っています。その際の「習合」のキーポイントは「6代前は応神天皇」という「主張」です。しかし、その6代の伝承ではなく、奥さん方の伝承しか残せなかったという史料事実こそ、歴史事実はそうではないが前王朝との「習合」が必要との判断から、継体の子孫達は 『日本書紀』を編纂した証拠なのです。
恐らく、まだわたしたちが気づかない九州王朝との「習合」の痕跡が『日本書紀』には数多く残されていると思われます。これをしっかりとした論証により見極めることが、九州王朝史復原の重要なテーマになるはずです。
なお、関西例会・シンポジウムの発表テーマは次の通りです。
〔古田史学の会・6月度関西例会の内容〕
○研究発表
1).「石の宝殿」の運搬(豊中市・木村賢司)
2).「難波津の歌」と九州王朝(木津川市・竹村順弘)
3).難波宮と難波長柄豊碕宮(京都市・古賀達也)
○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・古田先生の山口県人麻呂神社調査・他(奈良市・水野孝夫)
「禅譲・放伐」シンポジウム
○西村秀己(本会全国世話人・会計)
『日本書紀』(ヤマト朝廷)は何故九州王朝史を抹殺したのか?
○正木裕(本会会員)
「禅譲・放伐」論争 −九州王朝から近畿天皇家への権力移行について−
○水野孝夫(古田史学の会代表)
日本国は倭国(九州王朝)の横すべりである
○古賀達也(本会全国世話人・編集長)
権力「習合」の思想 −王朝交代の日本思想史的考察−
司会:不二井伸平さん(本会全国世話人)