『三国志』のフィロロギー
「短里の論理」
賀詞交換会において古田先生が『三国志』の短里や行程について触れられました ので、近年の短里に関する諸論稿にざっと目を通しました。すべての論稿を読んだわけではありませんが、その内容が20年前当時から本質的に進展していないものも見受けられました。そこで、わたし自身の認識の整理見直しも含めて、『三国志』の短里問題について、フィロロギーの視点から見解を述べてみます。
まず文献史学における研究の手続きとして、史料批判や史料性格の分析が不可欠ですが、『三国志』は古田先生が繰り返し指摘されてきたように、魏王朝の歴史を綴った「正史」であり、かつ三国時代の呉や蜀の歴史も綴られています。『三国志』と命名されたゆえんです。しかも魏を継いだ次王朝の西晋により編纂さ れており、同時代史料とみなされ、信頼性の高い史書です。著者の陳寿も歴史官僚としての高い能力や品性の持ち主であったことが、古田先生により紹介されて います。
王朝にとって度量衡の統一や施行は、収税や調達、他国との交渉・戦争などにとっても不可欠な行政課題です。ですから魏王朝も当然のこととして、長里であれ短里であれ「里単位」を決定し、その使用を国内(国家官僚・地方役人)に指示したはずです。『三国志』にそうした「里単位」の制定記事がないことをもっ て、里単位の制定・統一はされなかったとする論者もおられるようですが、こうした理解は王朝(権力者)の支配意志を軽視したものであり、学問の方法論上でも誤りがあります。
すなわち、史料などに「ある事物」の記載があれば、史料事実としてその事物が「存在した」とする根拠に使えますが、不記載・無記載をもって、「存在しない」という根拠には使えないのです。「存在」証明は史料中に一つでも証拠(記載)があればとりあえず可能ですが、「不存在」証明はよほど好条件に恵まれない限りできません。この理屈は自然科学でも同様です。これは学問の基本的な考え方なのです。
従って、『三国志』に「里単位の制定」記事がないことをもって、魏王朝が統一した里単位を公認制定しなかったとは論理の問題としてできないのです。どうしても存在しなかったことにしたい論者は、「史料に記載が無いことはその時代に存在しなかった」という証明が必要です。逆から言えば、三国時代に存在した制度や事物は全て『三国志』に記載されている、という証明が要求されるのですが、そのようなことがあるはずがなく、証明できるとも思われません。むしろ、王朝(国家権力者)である以上、里単位の公認制定を行ったと考えるのが、国家や歴史に対する真っ当な理解なのです。くりかえしますが、たとえば現代の百科事典に記載されていない事物は現在の世界に存在しない、などという理屈は通用せず、そのような主張は学問的ではありません。(つづく)