難波京朱雀大路の側溝出土か
久しぶりに大阪歴史博物館に行ってきました。『葦火』最新号(175号、2015年4月)に黒田慶一さんによる報告「難波京朱雀大路の西側溝か? -朱雀門跡の南方で南北溝を発見-」が掲載されていました。
同報告によると、前期難波宮の「朱雀門」南方140mで、長さ9.3m以上、幅2.2〜2.8m、深さ0.5mの正南北に延びる溝を検出したとのこと。溝から須恵器・土師器片や布目瓦が出土することから、古代の溝であることは間違いなく、この溝の中心から16.35m東側に、前期難波宮中軸の延長線がはしっています。従って、位置から考えて宮城南門から南へ延びる「朱雀大路」の西側溝である可能性が考えられるとのことです。
今回の溝から復元される道路幅は32.7mと広く、藤原京の朱雀大路の約25mよりも規模が大きいことになります。これまで難波京から条坊の痕跡はいくつか発見されてきましたが、「朱雀大路」の可能性を示す遺構の出土は初めてです。黒田さんは「道路の幅、側溝の規模ともに、今回の溝は古代主要道路の側溝として遜色ないといえます。位置や規模から考えて、今回見つかった溝が『朱雀大路』の西側溝である可能性は高いでしょう。」とされています。
こうして九州王朝の副都・前期難波宮の全貌が考古学的に明らかになりつつあります。これからも上町台地から、前期難波宮に関わる遺構の出土や遺物の発見が続くことをわたしは疑えません。とても楽しみです。